later on

時々、でもそれは彼女のカウントによると月一回程度のペース。
それでも、今となっては放課後の貴重な時間。
その日も生徒会長との“今後の体育部の在り方”について話し合った。
けれども既に“在り方”は決まっていて、形だけの書類作りともっぱらの雑談。
日暮れ時間も早まり、午後の授業が終わる頃は夕方の気配すら感じられる。

「そろそろ確定書類を作成して提出しないとね」
「廃部は避けたいとみんな言ってる」
「結局人数が少ないとね、運営が難しいから。来年度の新入部員が見込まれるであろう部については、各部の部長と話し合った通り他校での練習で通してみます」
「後は同好会?」
「まぁ、書類が通ればね。ただ、部費がねぇ。他校の保護者よりは理解がありますけど、限界があるでしょうから」
「ふうん」
「理事長が納得しても、学園長が通らないからな、どうせ」

それから生徒会長は体育部部長と目を合わせて微笑む。
“任せて”という風に。
結局は、そう。
生徒会長・・・清四郎に任せてしまって間違いはない。
二人は確定書類をまとめてしまうと、馴れてきた会話と共通の友人達の話で弾んだ。
悠理はその事が最近嬉しいと感じた。
二人の間で起こる会話は、二人だけが知る記憶で、それは誰も入らない出来事だからだ。
それは素直に嬉しいと思った。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

書類を明日、担当教師に渡せるように準備し、一緒に帰宅する事にする。
生徒会室の戸締まりを確認し、それぞれの鞄を手にした時だった。
突然の雨が強化ガラスを激しく叩き付ける。
悠理が驚いて窓辺に行くと黒い雨雲が空一面を覆っていて、大粒の雨が太い線を描くように落ちてくる。

「まじか・・・」
「このタイミング?」

迎えを呼んで清四郎を送って・・・彼女がそんな事を思っている時だった。
清四郎が鞄からスマートフォンを取り出す。
簡単な操作で耳にそれを押し当てると、ほんの少し彼女に背を向ける。

「ああ、野梨子?今、どこです?雨が降って来ましたが」

始めは意味が理解できなかったが、耳に勝手に入る会話は、やがてその意味を深めた。

“ふうん、そうか、やっぱりね。そうじゃないと、小さい頃からのつじつまが合わないよ。
ただの幼友達だって言うけど、こんくらいの雨で電話するか?ふつう・・・”

急に熱くなる体とは裏腹に、心が冷め切ってくるのが分かる。
悠理は彼に気づかれないようにそっと広い背中を見つめながら後ずさると、一息に生徒会室のドアを開けて駆け出した。
けれど既に気配に気づいていた清四郎はドア越しで彼女の腕をつかんでいた。

「悠理どこに行くの?」

スマートフォンをまだ耳にしている彼が彼女に話しかける。

「え?あ、急に用事を思い出して」
「ちょっと待って。今終わるから」

悠理の腕をつかんだまま、清四郎は電話を続ける。

「じゃあ姉貴に送ってもらうんですよ。はいはい、どうも」

電話を終え、スマートフォンを今度は制服の胸ポケットへしまい込む。

「失礼。姉貴がね、野梨子と可憐を連れて買い物。来月、同僚の結婚式に呼ばれたって。本当は“悠理ちゃんも”って言われたんだけど、放課後は僕との取り組みがあったから断っちゃいました」
「なんだ・・・そう?」
「土日も病院勤務だから、急遽、今日の放課後にね。まだ結婚祝いもフォーマルドレスも決まらないから、もう少し歩いて、ディナーしながら考えるって」
「えっ、いーなー」
「だって他人のプレゼント決めるって、悠理は得意じゃないでしょ?」
「まーねー」
「僕は姉貴が得意じゃないし」
「へ?関係ないじゃん」
「あはは」

二人は生徒会室のドアに鍵をかけ、昇降口へと向かう。

「悠理、傘は?」
「ないけど、大丈夫」
「折り畳み傘を持っているから送ってあげましょう」
「いいよ」
「いいから」
「雨に当たる前に走り抜くことができる」
「ははは・・・あ、そうだ!いいこと考えた!」
「なーに?」

胸ポケットに入れたスマートフォンをまた取り出す。

「どうも、清四郎です。今、暇?」

今度は誰に電話してるのだろうと悠理は清四郎を見上げる。
何かを察して彼は悠理の腕をつかみ、じっと彼女の顔を見ながら話を続ける。
放課後の昇降口は普段よりずっと静かで、声が響く。
薄暗く、雨の匂いがした。

「僕は悠理と部会の資料を作っていたんですけどね、野梨子と可憐が姉貴と買い物に出ていて、もう少ししたら夕食を取るって言ってるんで、せっかくだから僕達も一緒しようかなって。魅録はどうです?」

その会話に、悠理は思わずジャンプする。
慌てた清四郎が、つかんでいる腕に力を入れた。

「ええ、大丈夫?では悠理の家に集合と言うことで。美童にも声かけてみますから。雨降りですが気をつけて。後ほど」

ひどく喜ぶ悠理に、清四郎は言う。

「悪いけど名輪さんを呼べるかしら?急いで着替えて、悠理の家に行きたい」
「りょーかい!」
「そしたら僕は美童と野梨子に電話するから、頼む」

さっき、ちょっとだけ感じた痛みが嘘のよう。
悠理は心の中がすっかり晴れ上がり、温かなもので満たされたような気持ちがした。




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after that

あれから何度か部員数の少ない体育部の今後について協議された。
まだ課題は保留ではあるが、今期は現状維持で通すことには決まっていた。
けれども放課後の活動内容に変更を求める部について、担当教師と生徒会長、体育部部長での書類のやり取りは続いていた。
時々、頼まれた書類を生徒会長宅へ届けることがあるのは、放課後の補習授業に出なければならない彼女の特権でもあろう。
そういう時、彼女・・・悠理は、名輪の運転する車では行かないようにしている。
理由の分からない胸の甘い痛みを覚えながら、清四郎のいる家に歩いて向かうことを選んでいる。
その理由ははっきりしていて、彼について考えることができるからだ。
例えば、この通りは彼の通学路だから、同じ光景を見て歩くのだろうと言う思い。
例えば、突然の訪問をどう思うのだろうとか、出掛けていれば何の気遣いもなく書類を置いてこれるだろうとか。
そしてその日も、放課後の補習授業後に頼まれた書類を持って清四郎の家へと向かっていた。
7月も終わろうとしているのに、その日は日中降り続いた雨が夕方になって上がり、黒く濡れたアスファルトはすっかり冷えきっていた。
肌寒さを覚えた時、何処かの茂みから一斉に蜩が鳴き始めた。
雨雲から射す夕方の陽が、ふと彼女の視線をある場所へと向かわせる。

あ・・・あれは、もしかして・・・

一軒の日本邸宅の広い庭先に見える縁側に、見覚えのある学生用のワイシャツ。清四郎の幼馴染みの少女には兄弟も姉妹もいないはずなのに。

冷めた肌を想像の内で温め、けれどその光景は、一瞬にして黒いアスファルトへとまた視線を動かせた。
心逸る気持ちは既に消え、悠理は全くの仕事として清四郎宅のインターフォンを押した。

「はい」

すぐに聞きなれた声。

「悠理だけど」
「ああ、ちょうど学校から連絡がありました。鍵を開けたところだったので、どうぞ」

ドアを開こうとしたが、次の瞬間にはその声の持ち主が彼女を見つめていた。

「これ、先生から」
「うん。入って、どうぞ」
「でも、これ渡すだけでいいって」
「いいから」

強引と言うわけではないが、多分彼女の正直な気持ちがスリッパを履かせたのだろう。
二階に上がり、彼の机の椅子を勧められる。
ちょっと緊張した感じに座ると、清四郎の笑顔が見える。
彼はベッドに座り込み、封筒に入っていた書類に目を通していた。

「はいはい。今期はこれで落ち着いた感じですね。そう簡単に部員を別の部には送れないでしょうしね。ね?」

書類から目を上げ、悠理を見つめている。
優しさと、どこか見せる悪戯な笑み。

「体育部部長。どうです?今後の動きについて」
「えっと・・・どうするのかな」
「うん。廃部はちょっとね。またやりたがる生徒が出たとしても、すぐには立ち上げられないでしょうし。まぁ、聖プレジデント学園は、体育部は盛んではないけれど、目的を持って入学する生徒もいるでしょうしね」
「う、うん・・・」
「僕と悠理とで今後も定期的に話し合いましょう。活動内容の変更の件もあるし、冬季前にはそこのところを決めちゃいましょう」
「うん」

ぎこちない返事と、居心地が悪そうな彼女に彼は問いかける。

「この部屋、初めてではないよね?」
「何回か来てるよ。メンバーも一緒」
「そう」
「うん」

数秒、沈黙が訪れる。

「頻繁に来てもいいんだよ。例えば、こんな書類なんてなくたって」
「・・・・・」
「隣には野梨子だっているんだし」
「あっ、そう言えば」

空気の流れが変わったのを察した彼女は、それに乗るように疑問を口にする。

「野梨子んちに、清四郎のワイシャツがぶら下がってた」
「え?・・・ああ、この間。おばさんのお茶会の時。ちょっと汚しちゃって、それで洗濯しますって。別にいいのにね」
「ふうん」
「気になった?どうして僕のが野梨子の家にって。怪しいとか、思った?」
「ばぁ~か」

清四郎が突然立ち上がり、悠理へと近づく。
びっくりして背筋を伸ばすと、彼の手が彼女の肩に置かれた。

「遅くしてしまった。送りましょう」

質問の返事と今の言葉に混乱していると、何だか悲しい気持ちになる。

「・・・大丈夫。独りで帰れる」
「危ないから」
「あっは!あたし、悠理様だぞ!」
「でもね、ね?」
「途中、迎えの車を呼ぶもん」
「じゃあ、今、ここで呼んで下さいよ」

結局彼女は、無事に名輪の車に乗るまで清四郎の傍を離れることを許されなかった。
外はすっかり陽が落ち、薄暗い外灯が、二人を照らした。

「じゃあ、明日。今度は遊びにおいで」

車の窓越しに、彼は言う。

「うん。じゃ、明日、学校で」

バイバイと悠理が手を振ると、車の窓が閉まる。
夜の空気が、車内に入り込む。

その後、発車して互いの姿が見えなくなるまで、二人は手を振っていた。




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the sequel to note 

簡易給湯室の小窓から夕方の陽射しが細い通路へと延びる。
どこか懐かしいその光の色と優しい肌触り。
今となってはたった数分の過ぎたひとときでも、淡い記憶は彼女の中にしっかりと残されていた。


あの新学期からしばらくして、悠理は体育部担当の先生に頼まれた書類を届けに菊正宗家に向かっていた。
中身に目を通していなくても分かっている。
人数の少ないクラブの活動をどうするか、と言う課題が提示されているに違いない。
珍しく放課後早く下校した生徒会長を追うように向かう彼女は、ちょっと気が引けてならない。
普段は遅くまで生徒会室で仕事をする彼が早く帰宅するのは、よほどの事情があるに違いない。
けれども教師に頼まれた用事。しかも体育部担当となると自分にも多少の責任がある。
仕方なく、彼女は菊正宗家のインターフォンを押した。
程なくしてスピーカーから女性の声が聞こえた。
何度か訪れた時に会ったこの家の家政婦でもなく、彼の母親でもなく・・・でも聞き覚えのある声・・・

「あ、あの・・・学校の先生に頼まれて」
「あら、悠理ですのね、その声。ちょっと待って下さいな。今ドアを開けますわ」

玄関のドアはすぐに開けられた。
その奥には声の主で、今日も顔を合わせた仲間の一人がこちらを見て微笑んでいる。

「ちょうど帰る所でしたのよ。明日の打ち合わせで」
「あした・・・?」

彼が早く帰宅した理由と隣人の野梨子の言葉がうまくリンクしないまま、ぼんやりした表情を彼女に向ける。

「母様のお茶会の手伝いを清四郎にしていただきたくって。昔からの恒例の行事で、放課後の活動よりも優先させられてますの」
「うん」
「ああ、清四郎に用事ですのね。呼んできますわ。私はこのままお勝手からお暇しますので、ごきげんよう」
「ん・・・」

一方的に話されて、それでもまだ内容を飲み込めていない。
けれども、悠理の胸はチクチクと痛み始める。
もうひとつの理由が分からないままに。

それから、清四郎が現れるまでの数秒、あるいは数分だったかも知れない。
玄関ドアの小窓から夕方の淡い陽が射し込むのを見ていた。
長い廊下を照らすそれは、どこにでもあるようで懐かしい。
多分自分は前にこの光景を見ているに違いないと思う。
前・・・仲間と一緒にここに訪れた時か、それとも。

「やぁ、どうも。学校の先生に頼まれたって?」
「はい、これ。渡してくれって頼まれた」

彼女は彼が差し出した掌に先に頼まれたA4版の封筒を押し付けると、後ずさるようにドアノブに触れた。
けれどもう一方の彼の腕が伸び、呼び止めるように何度か手が動く。
悠理は困ったように立ち止まり、彼の次の行動を待った。
彼はゆっくした動作で封筒を開け、中の書類を確認する。

「ああ、ほら、悠理が言ってた、部員数が少ない体育部の今後について協議しようと言う、あれ」

更に、じっくり書類に目を通し始める。

「う~ん。僕と悠理と、各部長とで話し合う。ふうん・・・存続については・・・」

清四郎は悠理が紙面を見なくても分かるように端的に説明をする。

「面倒なの?」
「大丈夫。僕も出席するし、悠理はなんの心配も要りません」

それから彼は、書類を下ろして彼女に顔を見せる。
彼女の視線を捉えにっこりと微笑んだ。

「大丈夫・・・?」
「大丈夫。僕がいるから」

彼の肩に、先ほどの陽が射し込む。
ゆらゆらと優しく揺れる淡い光は、彼女に甘く切ない想いを与える。

この微笑みが、自分だけのものならいいのに。

帰路につく頃、彼女はそう考える自分に疑問を抱く。

なぜ?どうして?

けれども彼の微笑みは、自分よりもはるかに彼を知る誰かにより多く与えられるのだと、胸の痛みを覚えながら言い聞かせた。





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note

新学期の昼下がり。
満足するほど食べた学食のランチと、心地よい窓からの微風。
珍しく誰もいない生徒会室で、窓を開け放してソファに寝転ぶ。

「ああ~キモチいい~。午後はサボりだなぁ」

新学期は授業らしい授業はまだなく、今日だって午後は体育館で応援歌練習。
新入生には辛い時間だが、二年ともなるとお手本になればいい。
不真面目な悠理には意味のない時間になる。

満腹なお腹を抱え、質の良いソファが彼女を眠りへと誘う。
ふわふわと柔らかな風が髪の毛を優しく撫でると、彼女は完全に眠った。

・・・・・・・・・・。

肩が揺らされたような気がして目が覚める。
ピンぼけな視点がはっきりとした画面を彼女の脳に送った時、意外な人物が映った。

「清四郎がサボってる」

びっくりしたように目を何度かパチパチさせる彼は、それから彼女の横に座った。

「応援歌練習だから、それは応援団に任せて、僕は生活指導の先生に頼まれた仕事をしにここに来たの。サボりじゃない」

表情を変えない、真面目な答え。
悠理は起き上がってソファに正座する。
幼稚舎の頃から中等部までははっきり言って仲が悪かったから、偶然にも仲間になった今、それでも苦手な相手に違いない。
いや、正直言って未だにまともな会話ができていない。

「ああ、そっか。応援歌練習もそろそろ終わるよね。あたし、戻ろっかな」
「練習が終わってもクラブの仮入部見学みたいだから、悠理はいいんじゃない?僕の仕事を手伝って欲しいな」
「いいよ。何するの?」
「僕が作った書類に目を通して、誤字脱字がないかどうか確認して欲しい」
「できるかな?誤字かどうかもワカンナイかも」
「分からなかったら僕に訊けばいい」

でも、って彼女は思う。

それって、ちょっと恥ずかしいじゃん・・・漢字なんて分かんないもの。

そこまでの会話を、横にいる生徒会長に目線を移さずしていたものだから、チラッと見た時、未だ無表情に近い顔と出合った。

「時間、あるんでしょ?」
「う、うん」
「クラブ、何だっけ?」
「魅録とあたしだけのロックバンド。ほとんど動いてない」
「ああ」

・・・・・・・・・・・。

ちょっと間があって、それから清四郎は中央の大きなテーブルに着くとノートパソコンを開いた。
カタカタとこちらも心地よい音が続き、やがてプリンターが稼働する。

「悪いが、プリンターから出たやつ、目を通してくれ」
「りょうか~い」

彼女が目を通したのは“ゴールデンウィークの過ごし方”と言う生活指導の書類。
生徒用で、これなら彼女も分かる。
テーブルを挟んだ向かい側に彼女は座ると、ひとつひとつの文字にゆっくり目を通した。
しばらくして清四郎は声をかける。

「どう?気になる文章ない?」
「うん。大丈夫だよ」

この男に限って間違いなんかあるもんか、と思う。
最後の資料に目を通すと、清四郎がノートパソコンを閉じる。
彼女は資料をまとめて綺麗に重ねると、彼の前に押しやった。

「ありがとう。後で先生の所に持って行く。助かった」
「うん」

今度はじっと彼を見つめることができた。
彼は相変わらず無表情で彼女を見ていた。
無表情、でも、冷たさは感じられない。無関心さも、もちろん。
ただ、じっと彼女を見ている感じ。
そこに存在する彼女を認識して、記憶しているみたい。
何か話そうと思った時、清四郎は口を開く。

「魅録とは、中学生の時に知り合った?」
「うん。他校の中学生と喧嘩してた時、止めてくれた」
「そうか。魅録はこの学園に慣れただろうか」
「うん、スゴく。メンバーもいい奴ばっかだって」
「良かった」
「うん」

素直な気持ちでまっすぐ彼を見つめる。
ずっとずっと前から知っている彼の顔。
特別な意味を持たない彼女の視線が、やがて彼の表情のある視線と出合った。
その視線は、その瞳は、悠理の形の良い艶やかな唇を見ているようだった。
けれど彼女は、自分の美しさに気付くほど成長はしていなかったから、ただ彼の視線が恥ずかしさに変わった。
彼女は急に訪れた緊張で顔が強張り、それを伏せた。
彼女の、長い睫毛が僅かに揺れる。

「生徒会の仕事も、すぐに慣れるよ」
「うん」
「今日は、もう帰ってもいいんじゃないかな」
「うん・・・」

じゃあ、と言って彼女は席を立つ。
彼の視線はまた表情を失い、でもしっかり彼女を見ていた。

「ああ、そう言えば、体育部担当の先生に言われてた」
「何です?」
「人数の少ないクラブの活動をどうするかって」
「どうするかって・・・分かりました。これから考えて行きましょう」

悠理は清四郎の視線に応えて、それから背を向ける。
幼い彼女には、これ以上彼の視線には耐えられなかった。
意味を持たないようでいて、どこか甘く切ない感じ。

それは彼女だけが感じたのかも知れないし、二人が、無意識に抱いた想いなのかも知れない。




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 girl talk.

突然可憐から呼び出された野梨子は、緊張した面持ちでドアフォンの呼び出しを押す。
すぐにその当人が“今、開けるわ”とスピーカー越しに応えた。
ホワイトデーの夜の呼び出しとなると、誰もが悪い予感を思ってしまう。
けれど意外にも可憐の顔は普段と変わらず、茶目っ気たっぷりで舌を出した。

「ごめーん。本当に予定なかった?」
「ありませんわ。ホワイトデーだと言うのに、誰からもお誘いなんてなくってよ」
「バレンタインにチョコをあげないからよ」
「だって今年からは義理なしと男性陣が言うんですもの。お返しが大変だからって、こういうイベントは楽しむためにあるんですのに」
「あら、野梨子らしくない言葉ね。楽しむなんて」

ちょっとお茶を淹れて来るから、と野梨子を自室まで案内すると、可憐はキッチンへと向かった。
余り広くもないビルの3階に、可憐と彼女の母が暮らしている。
1、2階は店舗と事務所。母親が宝飾店を経営している。
父親を早くに亡くし母子家庭で育った彼女だが、働く母親を支えるために家事は何でもこなしている。

トレーに紅茶とスライスしたレモンを載せてくる。

「後少しでクッキーが焼けるから」
「可憐」

このままでは話したいことを避けてしまいそうな可憐との会話を本題に向かわせる。

「今日は午後から彼と過ごすんだって、放課後話してましたわね。もう終わりましたの?」
「ええ。すぐに」
「ホワイトデーはどうでしたの?何か贈られて?」
「・・・・・」

小さなため息の後、可憐は“ええ”と答える。
けれどさっきとは違って、表情が翳る。長い睫毛が揺れた。

「気持ちを・・・贈られたわ」
「あら、素敵。それで何を言われましたの?」
「これからも一緒にいようって」
「まぁ。何よりもの言葉ですわね。それで?」
「もちろんって答えて」
「ええ。それから・・・ごめんなさい、紋切り型の質問ばかりですわね」

そう言った野梨子を見て微笑む可憐は、けっして幸せそうには見えない。

「何かがあったから、私は呼び出されたのでしょう?」
「ええ」

それから可憐は自身の口元を両手で覆った。
けして泣いている訳ではなさそうだが、言葉に詰まっているのは事実。

「もう少し先の関係を彼が求めるものだから、ちょっと今、戸惑ってる」
「友達以上、恋人未満」
「ん、ちょっと違うかな」

肩を上げ、それから首を左右に振る。
言葉を選んでは発せられない、そんな感じ。

「手を握って、口づけをするだけの関係ではなくって、ですわね」

意外な野梨子の言葉に、可憐は目を見開いた。

「ええ、そうだわ。その通りよ」
「確かに・・・私達の年齢では早過ぎるように思えますわ。もちろん気持ちは分かりますけど。可憐はどう思って?」
「本当に彼を想うなら、そうなってしまうかも知れない。でも、彼の言葉をもらったときに頭に浮かんだのは“NO!”だったの」
「彼を心からまだ愛せない、と言うことですの?」
「愛情表現って、行動だけではないように思えるの」

そこまで言って、可憐の部屋のドアがノックされる。
すぐにドアが開き、彼女の母親が皿にクッキーを載せて入ってきた。

「可憐ちゃん、クッキーが焼けてたわよ。あら、野梨子ちゃんいらっしゃい」
「おばさま、お邪魔しています」
「オーブンに入ったままだったけど」
「ママ、ありがと。少しくらい大丈夫よ」

可憐は母親から皿を受け取る。
ゆっくりしていってね、と野梨子に告げると母親は部屋を出て行った。

「おばさまを見ていると、可憐の言う意味が分かりますわ」

今度の可憐の瞳は喜びで輝いていた。

「ありがとう。パパはもういないけど、ママはずっとパパを愛しているの。パパ以外、考えられないの。これって素敵なことだと思わない?パパもわたしも、ママにずっと大切にされているってすごく感じるの」
「その通りですわね」
「だからわたしは・・・結婚をする人以外、深い関係になりたくないって思ってるの」
「素晴らしいですわ。可憐のような女子からは考えられなかったですけれど」

野梨子の冗談に、可憐は楽しそうに笑う。

実はね・・・可憐は話始める。
野梨子は少し冷めた紅茶にスライスしたレモンを潜らせる。

「わたしが中等部の頃、まだペンパルだった美童に恋していたことがあって。日本に来ることになって、会ってみたらすっごく綺麗な男の子だなぁって。もっと好きになって、付き合って。そうしたらあいつもやっぱり友達以上の関係をね、普通に・・・まだ14才くらいよ!
国籍が違うって考え方や価値観が違うんだなーって。そうしている内に、ほら、すぐに女の子に手を出すでしょ?あきれちゃって。それでもわたしといるんですもの。だから悩んだ心はすぐに癒えたわ。友達の関係の方が、ずっと好きでいられるし、大切に思える仲間もできたしね。
そして分かったの。美童は、違うんだって。わたしの中では、違うんだって。
もっとずっと先に、いつか自分自身で納得できる相手に必ず巡り逢えるってね。
だから美童も、彼も違う。とっても残念だけど・・・
でもトラウマよ、美童との過去は。責任取ってもらわなくっちゃ」

そう言った可憐の顔は、普段よりもずっと美しく輝いていると野梨子は思った。

「野梨子、ありがとう。迷いを聞いてもらったおかげで、気持ちの整理ができたわ」
「いいえ。可憐は初めから答えを出していたんですのよ。正しい答えを。
可憐はおばさまの自慢の娘ですわね」

すっかり遅くなってしまった野梨子のためにタクシーを呼び、その間に可憐が焼いたクッキーを綺麗な小箱に詰めた。

「ホワイトデーの夜に、遅くしてしまってごめんね」
「気になさらないで。可憐との時間、楽しかったですわ」

「可憐ちゃん、タクシーが来たわよ」

閉店時間を迎えた可憐の母親が、階下の店舗から声をかける。

「おばさま、遅い時間まで申し訳ございません」
「野梨子ちゃん、今度は夕御飯を食べにいらっしゃいね。悠理ちゃんも連れて」
「はい。ありがとうございます」
「気を付けて」

タクシーまで野梨子を見送る。

「ほんと、ありがとう。また明日ね」
「ええ、また明日。おやすみなさい」

タクシーが見えなくなるまで、可憐はじっと立っている。
自分の考えは古いのかも知れないが、けっして間違ってはいない。
可憐の決断に彼がどのような答えを出そうとも、意思を変えるつもりなど彼女にはなかった。



2017.3.17 改稿


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