the sequel to note 

簡易給湯室の小窓から夕方の陽射しが細い通路へと延びる。
どこか懐かしいその光の色と優しい肌触り。
今となってはたった数分の過ぎたひとときでも、淡い記憶は彼女の中にしっかりと残されていた。


あの新学期からしばらくして、悠理は体育部担当の先生に頼まれた書類を届けに菊正宗家に向かっていた。
中身に目を通していなくても分かっている。
人数の少ないクラブの活動をどうするか、と言う課題が提示されているに違いない。
珍しく放課後早く下校した生徒会長を追うように向かう彼女は、ちょっと気が引けてならない。
普段は遅くまで生徒会室で仕事をする彼が早く帰宅するのは、よほどの事情があるに違いない。
けれども教師に頼まれた用事。しかも体育部担当となると自分にも多少の責任がある。
仕方なく、彼女は菊正宗家のインターフォンを押した。
程なくしてスピーカーから女性の声が聞こえた。
何度か訪れた時に会ったこの家の家政婦でもなく、彼の母親でもなく・・・でも聞き覚えのある声・・・

「あ、あの・・・学校の先生に頼まれて」
「あら、悠理ですのね、その声。ちょっと待って下さいな。今ドアを開けますわ」

玄関のドアはすぐに開けられた。
その奥には声の主で、今日も顔を合わせた仲間の一人がこちらを見て微笑んでいる。

「ちょうど帰る所でしたのよ。明日の打ち合わせで」
「あした・・・?」

彼が早く帰宅した理由と隣人の野梨子の言葉がうまくリンクしないまま、ぼんやりした表情を彼女に向ける。

「母様のお茶会の手伝いを清四郎にしていただきたくって。昔からの恒例の行事で、放課後の活動よりも優先させられてますの」
「うん」
「ああ、清四郎に用事ですのね。呼んできますわ。私はこのままお勝手からお暇しますので、ごきげんよう」
「ん・・・」

一方的に話されて、それでもまだ内容を飲み込めていない。
けれども、悠理の胸はチクチクと痛み始める。
もうひとつの理由が分からないままに。

それから、清四郎が現れるまでの数秒、あるいは数分だったかも知れない。
玄関ドアの小窓から夕方の淡い陽が射し込むのを見ていた。
長い廊下を照らすそれは、どこにでもあるようで懐かしい。
多分自分は前にこの光景を見ているに違いないと思う。
前・・・仲間と一緒にここに訪れた時か、それとも。

「やぁ、どうも。学校の先生に頼まれたって?」
「はい、これ。渡してくれって頼まれた」

彼女は彼が差し出した掌に先に頼まれたA4版の封筒を押し付けると、後ずさるようにドアノブに触れた。
けれどもう一方の彼の腕が伸び、呼び止めるように何度か手が動く。
悠理は困ったように立ち止まり、彼の次の行動を待った。
彼はゆっくした動作で封筒を開け、中の書類を確認する。

「ああ、ほら、悠理が言ってた、部員数が少ない体育部の今後について協議しようと言う、あれ」

更に、じっくり書類に目を通し始める。

「う~ん。僕と悠理と、各部長とで話し合う。ふうん・・・存続については・・・」

清四郎は悠理が紙面を見なくても分かるように端的に説明をする。

「面倒なの?」
「大丈夫。僕も出席するし、悠理はなんの心配も要りません」

それから彼は、書類を下ろして彼女に顔を見せる。
彼女の視線を捉えにっこりと微笑んだ。

「大丈夫・・・?」
「大丈夫。僕がいるから」

彼の肩に、先ほどの陽が射し込む。
ゆらゆらと優しく揺れる淡い光は、彼女に甘く切ない想いを与える。

この微笑みが、自分だけのものならいいのに。

帰路につく頃、彼女はそう考える自分に疑問を抱く。

なぜ?どうして?

けれども彼の微笑みは、自分よりもはるかに彼を知る誰かにより多く与えられるのだと、胸の痛みを覚えながら言い聞かせた。





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note

新学期の昼下がり。
満足するほど食べた学食のランチと、心地よい窓からの微風。
珍しく誰もいない生徒会室で、窓を開け放してソファに寝転ぶ。

「ああ~キモチいい~。午後はサボりだなぁ」

新学期は授業らしい授業はまだなく、今日だって午後は体育館で応援歌練習。
新入生には辛い時間だが、二年ともなるとお手本になればいい。
不真面目な悠理には意味のない時間になる。

満腹なお腹を抱え、質の良いソファが彼女を眠りへと誘う。
ふわふわと柔らかな風が髪の毛を優しく撫でると、彼女は完全に眠った。

・・・・・・・・・・。

肩が揺らされたような気がして目が覚める。
ピンぼけな視点がはっきりとした画面を彼女の脳に送った時、意外な人物が映った。

「清四郎がサボってる」

びっくりしたように目を何度かパチパチさせる彼は、それから彼女の横に座った。

「応援歌練習だから、それは応援団に任せて、僕は生活指導の先生に頼まれた仕事をしにここに来たの。サボりじゃない」

表情を変えない、真面目な答え。
悠理は起き上がってソファに正座する。
幼稚舎の頃から中等部までははっきり言って仲が悪かったから、偶然にも仲間になった今、それでも苦手な相手に違いない。
いや、正直言って未だにまともな会話ができていない。

「ああ、そっか。応援歌練習もそろそろ終わるよね。あたし、戻ろっかな」
「練習が終わってもクラブの仮入部見学みたいだから、悠理はいいんじゃない?僕の仕事を手伝って欲しいな」
「いいよ。何するの?」
「僕が作った書類に目を通して、誤字脱字がないかどうか確認して欲しい」
「できるかな?誤字かどうかもワカンナイかも」
「分からなかったら僕に訊けばいい」

でも、って彼女は思う。

それって、ちょっと恥ずかしいじゃん・・・漢字なんて分かんないもの。

そこまでの会話を、横にいる生徒会長に目線を移さずしていたものだから、チラッと見た時、未だ無表情に近い顔と出合った。

「時間、あるんでしょ?」
「う、うん」
「クラブ、何だっけ?」
「魅録とあたしだけのロックバンド。ほとんど動いてない」
「ああ」

・・・・・・・・・・・。

ちょっと間があって、それから清四郎は中央の大きなテーブルに着くとノートパソコンを開いた。
カタカタとこちらも心地よい音が続き、やがてプリンターが稼働する。

「悪いが、プリンターから出たやつ、目を通してくれ」
「りょうか~い」

彼女が目を通したのは“ゴールデンウィークの過ごし方”と言う生活指導の書類。
生徒用で、これなら彼女も分かる。
テーブルを挟んだ向かい側に彼女は座ると、ひとつひとつの文字にゆっくり目を通した。
しばらくして清四郎は声をかける。

「どう?気になる文章ない?」
「うん。大丈夫だよ」

この男に限って間違いなんかあるもんか、と思う。
最後の資料に目を通すと、清四郎がノートパソコンを閉じる。
彼女は資料をまとめて綺麗に重ねると、彼の前に押しやった。

「ありがとう。後で先生の所に持って行く。助かった」
「うん」

今度はじっと彼を見つめることができた。
彼は相変わらず無表情で彼女を見ていた。
無表情、でも、冷たさは感じられない。無関心さも、もちろん。
ただ、じっと彼女を見ている感じ。
そこに存在する彼女を認識して、記憶しているみたい。
何か話そうと思った時、清四郎は口を開く。

「魅録とは、中学生の時に知り合った?」
「うん。他校の中学生と喧嘩してた時、止めてくれた」
「そうか。魅録はこの学園に慣れただろうか」
「うん、スゴく。メンバーもいい奴ばっかだって」
「良かった」
「うん」

素直な気持ちでまっすぐ彼を見つめる。
ずっとずっと前から知っている彼の顔。
特別な意味を持たない彼女の視線が、やがて彼の表情のある視線と出合った。
その視線は、その瞳は、悠理の形の良い艶やかな唇を見ているようだった。
けれど彼女は、自分の美しさに気付くほど成長はしていなかったから、ただ彼の視線が恥ずかしさに変わった。
彼女は急に訪れた緊張で顔が強張り、それを伏せた。
彼女の、長い睫毛が僅かに揺れる。

「生徒会の仕事も、すぐに慣れるよ」
「うん」
「今日は、もう帰ってもいいんじゃないかな」
「うん・・・」

じゃあ、と言って彼女は席を立つ。
彼の視線はまた表情を失い、でもしっかり彼女を見ていた。

「ああ、そう言えば、体育部担当の先生に言われてた」
「何です?」
「人数の少ないクラブの活動をどうするかって」
「どうするかって・・・分かりました。これから考えて行きましょう」

悠理は清四郎の視線に応えて、それから背を向ける。
幼い彼女には、これ以上彼の視線には耐えられなかった。
意味を持たないようでいて、どこか甘く切ない感じ。

それは彼女だけが感じたのかも知れないし、二人が、無意識に抱いた想いなのかも知れない。




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 girl talk.

突然可憐から呼び出された野梨子は、緊張した面持ちでドアフォンの呼び出しを押す。
すぐにその当人が“今、開けるわ”とスピーカー越しに応えた。
ホワイトデーの夜の呼び出しとなると、誰もが悪い予感を思ってしまう。
けれど意外にも可憐の顔は普段と変わらず、茶目っ気たっぷりで舌を出した。

「ごめーん。本当に予定なかった?」
「ありませんわ。ホワイトデーだと言うのに、誰からもお誘いなんてなくってよ」
「バレンタインにチョコをあげないからよ」
「だって今年からは義理なしと男性陣が言うんですもの。お返しが大変だからって、こういうイベントは楽しむためにあるんですのに」
「あら、野梨子らしくない言葉ね。楽しむなんて」

ちょっとお茶を淹れて来るから、と野梨子を自室まで案内すると、可憐はキッチンへと向かった。
余り広くもないビルの3階に、可憐と彼女の母が暮らしている。
1、2階は店舗と事務所。母親が宝飾店を経営している。
父親を早くに亡くし母子家庭で育った彼女だが、働く母親を支えるために家事は何でもこなしている。

トレーに紅茶とスライスしたレモンを載せてくる。

「後少しでクッキーが焼けるから」
「可憐」

このままでは話したいことを避けてしまいそうな可憐との会話を本題に向かわせる。

「今日は午後から彼と過ごすんだって、放課後話してましたわね。もう終わりましたの?」
「ええ。すぐに」
「ホワイトデーはどうでしたの?何か贈られて?」
「・・・・・」

小さなため息の後、可憐は“ええ”と答える。
けれどさっきとは違って、表情が翳る。長い睫毛が揺れた。

「気持ちを・・・贈られたわ」
「あら、素敵。それで何を言われましたの?」
「これからも一緒にいようって」
「まぁ。何よりもの言葉ですわね。それで?」
「もちろんって答えて」
「ええ。それから・・・ごめんなさい、紋切り型の質問ばかりですわね」

そう言った野梨子を見て微笑む可憐は、けっして幸せそうには見えない。

「何かがあったから、私は呼び出されたのでしょう?」
「ええ」

それから可憐は自身の口元を両手で覆った。
けして泣いている訳ではなさそうだが、言葉に詰まっているのは事実。

「もう少し先の関係を彼が求めるものだから、ちょっと今、戸惑ってる」
「友達以上、恋人未満」
「ん、ちょっと違うかな」

肩を上げ、それから首を左右に振る。
言葉を選んでは発せられない、そんな感じ。

「手を握って、口づけをするだけの関係ではなくって、ですわね」

意外な野梨子の言葉に、可憐は目を見開いた。

「ええ、そうだわ。その通りよ」
「確かに・・・私達の年齢では早過ぎるように思えますわ。もちろん気持ちは分かりますけど。可憐はどう思って?」
「本当に彼を想うなら、そうなってしまうかも知れない。でも、彼の言葉をもらったときに頭に浮かんだのは“NO!”だったの」
「彼を心からまだ愛せない、と言うことですの?」
「愛情表現って、行動だけではないように思えるの」

そこまで言って、可憐の部屋のドアがノックされる。
すぐにドアが開き、彼女の母親が皿にクッキーを載せて入ってきた。

「可憐ちゃん、クッキーが焼けてたわよ。あら、野梨子ちゃんいらっしゃい」
「おばさま、お邪魔しています」
「オーブンに入ったままだったけど」
「ママ、ありがと。少しくらい大丈夫よ」

可憐は母親から皿を受け取る。
ゆっくりしていってね、と野梨子に告げると母親は部屋を出て行った。

「おばさまを見ていると、可憐の言う意味が分かりますわ」

今度の可憐の瞳は喜びで輝いていた。

「ありがとう。パパはもういないけど、ママはずっとパパを愛しているの。パパ以外、考えられないの。これって素敵なことだと思わない?パパもわたしも、ママにずっと大切にされているってすごく感じるの」
「その通りですわね」
「だからわたしは・・・結婚をする人以外、深い関係になりたくないって思ってるの」
「素晴らしいですわ。可憐のような女子からは考えられなかったですけれど」

野梨子の冗談に、可憐は楽しそうに笑う。

実はね・・・可憐は話始める。
野梨子は少し冷めた紅茶にスライスしたレモンを潜らせる。

「わたしが中等部の頃、まだペンパルだった美童に恋していたことがあって。日本に来ることになって、会ってみたらすっごく綺麗な男の子だなぁって。もっと好きになって、付き合って。そうしたらあいつもやっぱり友達以上の関係をね、普通に・・・まだ14才くらいよ!
国籍が違うって考え方や価値観が違うんだなーって。そうしている内に、ほら、すぐに女の子に手を出すでしょ?あきれちゃって。それでもわたしといるんですもの。だから悩んだ心はすぐに癒えたわ。友達の関係の方が、ずっと好きでいられるし、大切に思える仲間もできたしね。
そして分かったの。美童は、違うんだって。わたしの中では、違うんだって。
もっとずっと先に、いつか自分自身で納得できる相手に必ず巡り逢えるってね。
だから美童も、彼も違う。とっても残念だけど・・・
でもトラウマよ、美童との過去は。責任取ってもらわなくっちゃ」

そう言った可憐の顔は、普段よりもずっと美しく輝いていると野梨子は思った。

「野梨子、ありがとう。迷いを聞いてもらったおかげで、気持ちの整理ができたわ」
「いいえ。可憐は初めから答えを出していたんですのよ。正しい答えを。
可憐はおばさまの自慢の娘ですわね」

すっかり遅くなってしまった野梨子のためにタクシーを呼び、その間に可憐が焼いたクッキーを綺麗な小箱に詰めた。

「ホワイトデーの夜に、遅くしてしまってごめんね」
「気になさらないで。可憐との時間、楽しかったですわ」

「可憐ちゃん、タクシーが来たわよ」

閉店時間を迎えた可憐の母親が、階下の店舗から声をかける。

「おばさま、遅い時間まで申し訳ございません」
「野梨子ちゃん、今度は夕御飯を食べにいらっしゃいね。悠理ちゃんも連れて」
「はい。ありがとうございます」
「気を付けて」

タクシーまで野梨子を見送る。

「ほんと、ありがとう。また明日ね」
「ええ、また明日。おやすみなさい」

タクシーが見えなくなるまで、可憐はじっと立っている。
自分の考えは古いのかも知れないが、けっして間違ってはいない。
可憐の決断に彼がどのような答えを出そうとも、意思を変えるつもりなど彼女にはなかった。



2017.3.17 改稿


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常に移行する時間、そして変わらないもの

“時間を味方につける”という言葉が、最近頭を過る。
何かの小説だったのか、テレビとかネットの情報だったのか、それは定かではないが、生活の何かしらの時に先程の言葉が過る。
例えば今、僕の目の前で幼友達であり喧嘩友達でもある彼女が朝食を取っている。
厚切りのトーストに丁寧にバターをナイフで塗っている。
ハチミツのディスペンサーを見つめ、トーストに垂らそうとしているのだろう。

「悠理、コーヒーにミルクは?」
「欲しい」

僕はミルクピッチャーを手にすると、たっぷりのミルクをコーヒーに淹れる。

「ありがと」

それからポカンとした顔で僕を見つめる。
口を半開きにし、表情のない瞳で。

・・・・・

昨夜の夕食時間もそうだった。
時々、虚ろな目で僕を見つめた。
多分、まだ消化しきれていないんだろうと思う。

僕は今から留学をするために海外へ飛ぶ。
経済についてもっと詳しく海外で学びたいという僕の気持ちを彼女の兄は理解してくれ、学校を紹介し、そこでビジネス学を受講できるよう手続きしてくれたのだ。
昨夜は彼女の家族が僕の送別会を開いてくれた。
数日前には仲間も開いてくれた。
留学と言ってもそんなに長い期間ではないし、長期休暇の時には帰国するつもりだし、何より、暇を見つけては仲間がやって来るに違いないのだから、“別離”という気持ちは微塵もない。
けれども目の前の彼女は、僕の留学という現実について受け入れられていないようだ。
いや、受け入れようとしないのであろう。
それは昨夜の夕食時にも表れていた。

剣菱所有のホテルのレストランでの夕食で、僕はメインの肉料理を断り、魚料理に変更した時に彼女が言った。

「あたしも清四郎と同じのがいい」
「どうしたの?大好きなステーキでしょう?」
「うん・・・口は食べたいんだけど、喉を通りそうにないんだ」
「僕はあしたの出発に胃の負担を避けたいから、ステーキが食べたいのを我慢してるだけですよ」
「そうなんだ。けど、あたしはいらない」

そうして彼女は、重たそうに魚用のナイフで白身にホワイトソースをかけ、小さな口に運んだ。
僕はその彼女の形良い唇に、ちょっとだけ見とれた。
デザートには木苺のシャーベットとエスプレッソを頼む。
彼女は抹茶のムースとアップルティ、それだけだった。
結局彼女のご両親と会話を楽しんだだけの送別会で、用意された部屋に戻るまで彼女はあまり話さなかった。

「僕の部屋で少し話さないか?」

僕が声をかけると、彼女は“うん、いいよ”と言う。
そうして僕の部屋に一緒に入ると、彼女は二人がけのソファの端に座る。
ルームサービスでコーヒーとフルーツケーキを二人分オーダーすると、僕はベッドに腰かけた。

「明日、僕は豊作さんが待っているイギリスに出発します。彼にはいろいろ手配してもらって、卒業までとその後の事までお願いしてるので、とりあえずは一年制のスクールで学びます」
「うん。知ってるよ」
「だから留学期間は短いし、長期の休暇には帰国するし、悠理だって遊びに来るつもりでしょ」
「もちろん。そりゃあ、友達だもん」
「普段より、ちょっと遠いだけの距離」
「そうだ」
「だったら悠理、そんな淋しそうな顔しないで下さいよ」
「・・・・・」

ドアがノックされ、ルームサービスが届く。
ワゴンで室内に運んでもらい、テーブルにコーヒーセットを並べてもらった。

「寝る前だけど、コーヒーをどうぞ」
「ありがと」
「フルーツケーキは?」
「食べれるかな?目はおいしそうと思うけど、喉を通らない感じ。さっきのご飯だって、好きなものだけでもと思ったけど。なんだかもう、たくさん」
「どうしてだろう?どうして大好きな食事が取れないんだと思う?」
「胸がちょっと苦しくって、お腹が空かないから」
「うん。じゃあ、どうして胸が苦しくて、お腹が空かないんだと思う?」
「・・・・・」
「僕がいなくなっちゃうからかしら?」
「・・・・・」
「きっと、そうなんだと思います。僕が留学することが受け入れられない」
「頭では分かってるんだけど、胸の辺りがザワザワしちゃうんだ」
「やっぱりご飯と一緒で、消化しきれていないんだね。僕の留学」
「そうかな」

それから彼女は少しの時間、泣いた。
声を殺して両手で小さな顔を隠し、今までにないような泣き方で。
僕は自分の分の冷めかけたコーヒーを飲み干し、そのカップに彼女のコーヒーを淹れ、コーヒーポットの温かなコーヒーを彼女のカップに注いだ。
ミルクポットからたっぷりのミルクを淹れる。
顔を覆う彼女の両手を力が入らないようにして外し、その手に温かなコーヒーカップを掴ませた。
彼女の両手に、僕の両手が重なった。

「必ず、悠理やみんなの元に戻ります。必ず。僕を信じて欲しい」

彼女の澄んだ瞳から、大粒の涙が零れた。

翌朝。
冒頭の朝食時間に戻るのだが、彼女は昨夜の僕の説明では納得できていないようだった。
朝食の席で顔を合わせると、腫れぼったい目が全てを物語っていたからだ。
ホテルのエントランスでタクシーのトランクにキャリーバッグを入れている時、傍で見ていた悠理が口を開く。

「長期休暇は別として、ほんとに帰って来るのかな?」
「どうしてそういうこと言うの?」
「だって、豊作兄貴が・・・」
「豊作さんがどうしたの?」
「清四郎の留学後の状況に応じて、海外事業部のメンバーに加えるって」
「そう?僕は聞いてないけどな」
「だって・・・」
「まだ、先のことでしょう?それに豊作さんは状況に応じてって言ってる。そうするとは言っていない」
「けど」
「状況は常に変わるものだし、片一方だけの問題ではないと思うんです」
「うん」
「あちら側の状況だけでなく、こちら側、僕側だって状況が変わる可能性も大いにある訳で、一概には言えない。悠理にとって、どちら側でも不安要素なのでしょうけれど」
「・・・・・」
「悠理の状況も今と変わる可能性もある。時間は常に動いているのだからね」

エントランスに爽やかな風が通り過ぎる。
春の、甘い匂いが漂っている。
あるいはそれは、彼女の香りだったのかも知れない。
僕はタクシーの運転手に、タクシープールで待つように伝える。
そして彼女を、ロビーまで送った。

「時間を自分の味方につけるといい」

僕は、最近頭に過る言葉を口に出してみる。
声に出すことによって、それは形成されたもののように思えてくる。

「そしてそれは、常に変わるものとして捉える。僕は、留学したままじゃないし、海外事業部のメンバーになるのは一つの提案に過ぎない。時間は常に移行し、状況は変わる。一年後には悠理が留学し、いつか海外事業部のメンバーになるかも知れない。もちろん先のことなんて、誰にも分からない」
「そうだね」

先程までの淋しそうな顔の彼女に、ほんの少し明るさが戻る。

「そんなに僕の留学が心配なら、悠理も一緒に来ればいい。豊作さんに言えば何とでもなるでしょ?通える学校なんていくらでもある」
「ええっ~!!」
「今すぐでなくても、将来的には僕のアシスタントを務めてくれたって良いですよ。むしろ、そうしてくれるとありがたい」

彼女の笑顔は、真夏の太陽のように輝いている。

「ね?時間を味方につけると、自分の良いように変えることだってできる」
「うん!」

僕は彼女の愛らしい頬を両手で包み込む。

「一緒に、世界中を歩きましょう」

彼女の瞳を見つめると、恥じらうように瞼を閉じる。
僕は彼女の艶やかな唇に自分のそれを重ねる。

全てはきっとうまく行く。

今度はその言葉が、頭を過った。





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2月の空

このお話は、“夏空の飛行機雲”の続きです。。




底冷えするような雨の土曜日、僕はひとりで生徒会室にいる。
来年度の生徒会活動の予算や行程、引き継ぎ事項等をまとめるために登校したのだ。
本当は月曜日の夕方までに仕上げれば良いのだが、今日、ひとり、ここで作業をしたくなって来た。
誰にも邪魔されたくないと言うなら自宅での作業でも良いのだが、担当の顧問も職員室にいると言うので登校することに決めた。
部屋が暖まる間、簡易給湯室でコーヒーを飲むためのお湯を沸かす。
一杯分のお湯はすぐに沸騰し、自分専用のマグカップにインスタントコーヒーの粉を多めに入れた。
シューッとやかんが鳴き、火を止めてお湯をカップに注ぐと、コポコポと気持ちの良い音が出た。
僕はカップを持ちながらテーブルの向こう側の窓辺に向かう。
外はまだ雨が降り続いている。
この季節の雨は、暖かな冬のイメージ・・・なのだろうか。
雪、みぞれ?けれどそこまで気温は下がらない。
反対に、夏に降る雨は意外にも冷たいと感じるのは何故だろう。
肌に感じる気温より、ずっと冷たい。
僕は窓の外の雨を見つめ、それから空を見上げる。
空一面は雲に覆われてはいるものの、うっすらした雲間に陽が射し込んでいるのが見えた。
このコーヒーを飲み終え、書類をまとめたら、その頃には雨は上がるのかもしれない。
僕はテーブル側を振り返り、壁の時計を見る。
時計の針は午前10時42分を指していた。
テーブルに着いて立ち上げていたパソコンに向かうとすぐに集中することができた。
データをひとつのフォルダにまとめた時、遠くで飛行機が通り過ぎる音が聞こえた。
それは僕に懐かしい記憶を呼び起こす。
何だろう・・・ちょっぴり心が痛く、同時に温かさも感じる、けれど言葉では表せない・・・そんな記憶。
目を瞑り今度はその気持ちに集中する。
まぶたの裏に映る小さな光は、やがて2年前の記憶を呼び起こした。
窓の向こうの広大な青空、清々しい風、太陽の匂い。
夏、1学期の終わり、生徒会室・・・そうだ。
僕は目を開け窓辺に向かう。
窓の外は雨が上がり、青空が見えた。
澄んだ空は高く、遠くに飛行機雲が消えかけていた。

“小さい頃、飛行機雲は別の飛行機の為の道しるべを作ってると思ってた”

彼女は消えかかっている飛行機雲を見ながら、淋しげに言った。

“空で、迷子にならないように。だってあんなとこで迷子になったら大変だもの”

“大空で迷子になったら、誰が助けてくれるの?”

僕はその時、彼女から不安を取り除いてあげたくなったのを思い出す。

“飛行機に航空路があるように、悠理にも決められた道がちゃんとある。
悠理が迷う事がないように、僕が付いていてあげる”

僕は彼女にそう言ったのだ。
そしてその言葉に・・・彼女は少しだけ笑顔を取り戻したんだ。
それから、それからどうしただろう?
今日のこの日まで、僕は僕が言った言葉の通り、彼女の傍にいてあげられていただろうか?
彼女は彼女の決められた道をきちんと歩くことができているのだろうか?

僕は窓を半分ばかり開け、そこから顔を出して冷たい空気を吸い込む。
雨上がりのアスファルトの匂い。そして少しだけ、春の匂いがする。

彼女への言葉に嘘はない。
僕はあの時、彼女を見えない不安から解放してあげたかった。
そして本当に、傍にいたいと、ずっとそうしていたいと思ったのだ。
あの彼女の涙は、不安のためのものだったのだろうか。それとも・・・

それとも、やがて近づくそれぞれの歩みについて、何かしらの思惑を感じていたのかも知れない。

僕は目の前に、あの日の情景を見つめている。
見上げれば夏を思い起こす真っ青な空。
真上には新たな飛行機が、力強く水蒸気を発生させながら飛んでいる。
ジャケットからスマートフォンを取りだし、思わず彼女へと発信させる。
数回のコールで、彼女は電話に出た。

「清四郎?」
「悠理、今何してる?」
「今?今・・・部屋のソファで朝寝~」
「ねぇ、窓から外を見てごらんなさい」
「え?だって、雨が降ってるじゃん」
「雨なんて、とうの昔に上がっちゃいましたよ」

彼女はえ~と言いながら、ソファから立ち上がり窓辺に向かっているよう。
そして窓を開けた気配。

「空を見て」
「空?」
「ええ。青空に、飛行機雲が見えるでしょ?」
「ひこうき・・・ぐも?」
「ええ」

どこ?なんて言いながら、きっと彼女は柔らかな髪を左右に揺らしながらこの雨上がりの青空を見ているに違いない。

「わかんないよー。ふわふわ雲は見えるけど。でも、どうして?」
「さっき飛行機の飛ぶ音がして、空を見たら飛行機雲があってね。そうしたら悠理を思い出したから」
「あたし?・・・ひこうきぐも」
「ええ」

それから彼女は、少し考えるように静かにしていた。

「大丈夫。もう悲しくないよ。だって清四郎が言ってくれたから」
「覚えてた?僕との会話」
「今思い出した・・・うそ。時々空を見上げて、雲を見るたびに思い出してた」
「飛行機雲のお話」
「あっは」
「ありがとう」
「ううん」
「あの時ね、悠理の不安を取り除いてあげたいって思った、すごく」
「あはは。ナンでだろう?いつもおバカなのに、おセンチに見えたから?」
「深い悲しみから、遠ざけてあげたかったんだと思います」
「・・・・・だから、もう、大丈夫だって」
「良かった」
「うん」

僕は胸の奥に甘い疼き覚える。
どうしても、悠理に会いたくなる。

「せっかく晴れたし、お昼だし、一緒にランチしませんか?」
「オッケー!どこ行く?」
「実は僕、学校で資料作りをしてるんで制服なんですよねー」
「がっこー?」
「もう、終わったんですがね。悪いけど、僕の家で待ち合わせでもいいかしら?」
「いいよ。今すぐ行ってもいい?」
「もちろん。じゃ、後で」
「りょーかい!」

まるで僕の気持ちを覚ったのを知られたくないように電話が切られる。
なんて、独り善がり。

僕はもう一度空を見上げる。
飛行機雲はもう、薄れて消えかけている。
あの日の夏にはほど遠いけど、胸の奥にずっと潜んでいた熱い想いは今、勢い良く広がっているのが分かる。
早く彼女に会いたい気持ちで、僕は帰り支度を整えた。




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