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夏の彼方

夏の彼方

「待って。今、あそこで清四郎を見かけましたの」

噎せ返るような真夏の暑さと人込みの中で、野梨子は突然立ち止まった。

アイツは同好会で今、この東京にはいない。

それなのに野梨子は、アイツの陰を捜すように人込みに紛れた。
息を切らし額の汗をハンカチで拭いながら、見えたはずの陰が自分の見間違いだと気付くまで、俺は彼女に付き合った。

野梨子は深い溜息を吐く。

「確かに、見ましたの」


清四郎がもう一人の幼馴染と付き合い始めて以来、こんな行動はよくある事だった。
清四郎の代わりに、俺が、彼女を自宅まで送る。
そんな時、よくある光景だった。
野梨子はいつも念い詰めた眼差しで、清四郎の陰を追っていた。

どんなに追っても、どんなに捜しても、清四郎はもう、野梨子の隣りには戻らない。

会えないと意識の内に理解していても、無意識の片隅でアイツを捜しているのだ。
偶然の成り行きを願っているのか。
野梨子は遠くを見つめ、また、その大きな漆黒の瞳を落とした。


だから俺は、彼女に不器用に笑ってみせる。
彼女が、笑顔でさよならの意味が理解できるように。


「こんなに人に紛れておりますのに、どうして孤独だけを感じてしまうのかしら」

冷たい秋風が吹く頃、彼女はそう呟いた。

いつまでも過去の念いだけに生きるものだから、俺には彼女が暗い影にしか映らなかった。
せっかくの仲間達との愉しい思い出も、彼女の影に覆われて行く。


だから俺はまた、不器用に笑ってみせる。
彼女に、さよならが届くように。


「こんなに切ないのなら、いっその事、忘れてしまえばいいんですわ」

これ以上の苦しみ耐えられないと、無理に忘れようと試みる彼女に、愛おしさを感じた。
だから俺は、今まで以上に野梨子の傍にいた。


彼女の辛い念いを、あの噎せ返る夏の彼方へ放てるように。



「少し、疲れましたわ」

温かな春の日差しを浴びながら、二人で過ごしていた休日の街角で、野梨子は俺の腕を取った。

「あそこの喫茶店で休憩致しましょう」

野梨子の細い腕が離れて行く、その温もりを残念に思いながら俺は頷いた。
彼女と過ごす時間が確実に増えているのに、彼女の心が見えないのがもどかしかった。

重いガラス扉を乱暴に押し開け、俺は店内に入ってから慌てて振り向いた。


もし一緒にいるのが悠理なら、俺より先に扉を開けただろう。
可憐なら、俺の雑な行動に口煩く文句を言ったに違いない。


「わ、わりぃ」

扉の向こうで、野梨子は口元に手を添えて笑っていた。

「魅録らしいですわ」

俺は美童のように甘い言葉を囁きながら、扉を開けることは出来ない。
清四郎のように幼馴染を気遣う事も、出来ない。

俺は席に着くと、失態を隠すように煙草を銜えた。火は、流石に点けない。

「魅録はおいしくない男(やつ)、ですわね」
「はっ?」

くすくす、と野梨子は口元に手を添えて、また、笑った。
およそ彼女らしからぬその台詞に、正直驚き、煙草を落としてしまった。

「の、野梨子。どういう、意味だよ?」
「いい奴ほど恋愛する時は退屈な男になりがち、と言いますわ」

魅録は、恋愛には本当に不向きですわね。

そう言って、上品にティカップを口にする。
俺は多分唇を曲げ、変な顔をしているに違いない。

でも・・・と彼女は言う。

『私、そんなあなたの善さを、一番よく知っているつもりですわ。これまでも、これからも・・・』






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