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夢を見させて

夢を見させて 完結編

そもそも・・・僕は事の発端について考え直す。
そもそもあの店で、僕は野梨子と会っていたのだろうか?
記憶を呼び起こしてみる。
けれど彼女の存在は、コニャックの強いアルコールの中で輪郭が斯くも覚束ない。
店の者は、彼女のような客は来店していないと言う。
白鹿家では、地方で療養していると言う。
その日、僕はもう一度例の店に足を運ぶ。そして質問内容を若干変えてみる。


「僕が初めてこの店に来た時、その前からこの奥のカウンター席に座っていた女性がいたでしょう」


覚えていない、と答える。


「翌日も、今度は僕が先に来て、この席に座った。その日、女性は遅れて来店し、長い時間二人で話していた」


やはり覚えていないと答える。


「お客様の事は覚えていますよ。あれからずっと一人で来られてますから。
けれど私の記憶では、お客様はいつもカウンターで一人、飲んでいらっしゃる」


不思議な感覚に襲われた。
僕は確かに、野梨子と会っていた。
顔の表情、言葉のニュアンス・・・全て彼女のものだったはず。
考えられる方法として、父の病院で医師としている姉にメールを入れた。
野梨子の病症や療養している場所、最近こちらに帰省しているかどうか等・・・
二日経って返信が来た。長くなるからと、テキストが添付してあった。


“お母さんに野梨子ちゃんの事を訊いてもらっていたから時間がかかった。ごめん。
彼女、病状はそんなに悪くないらしい。ちょっと疲れがたまって、人と関わるのが辛くなったのね。時間はかかるだろうけれど、治らない病気じゃないし大丈夫。
療養先には医師もついているから安心して良いそう。
で、肝心の居場所なんだけど、やっぱり言ってくれなかったって”


僕は野梨子の状態に安心しながらも、居場所が伝えられない事に不満を覚える。


“いつもの野梨子ちゃんじゃないから会わせたくないんだろうし、彼女自身も友達にまだ会いたい気分ではないんだと思うわ。居場所を知らせた事によって出入りが頻繁、とまでいかなくても、そう言う状態の時は感受性が敏感なっているから、良くない方向に進む可能性もあるしね。もう少しそっとしておいたらいい”


僕は深くため息を吐き、更に読み進める。


“でもあんたの事だから気になると思って、考えられる別荘と療養所の住所を調べておいたわ“


そこには数ヵ所の住所が記載されていた。
居た堪らなくなってそれらの場所へ訪問する事を決意し、帰宅後に準備に取りかかった。


「清四郎、どこに行くの?」


まだ起きていた悠理が、自室から出て来た。


「明日から急に出張になりました」
「行き先は?」
「数ヵ所回る事になっていて、明日にならないと分からない。いつもの事でしょ」
「ふうん・・・いつもの、事。でもそれは嘘」


悠理の言葉に驚き、嘘を見破られた事に忽然と腹が立った。


「仕事ですよ、悠理。君のご両親の会社の為に日々働いているんですよ」
「知ってる。感謝してる。あたしも協力しているつもり。でも、明日の出張は、嘘」
「馬鹿にしているのか?」


僕はトランクに着替えを入れるのを止め、悠理に詰め寄った。


「馬鹿に何かしていない。事実を言ってるだけ。最近、帰宅がやたら遅いし、帰って来てもリビングのソファで寝てる。でなければ、会社の仮眠室に泊まってる、でしょ?
この間の食事はとても嬉しかったけど、それだけで変わらない」

「だからあたし、ちょっと会社に電話入れたんだ。そんなにずっと忙しいのかって。もちろん来年のテーマパークに向けて準備が迫られてるってのは分かる。でも清四郎の立場上、割り振りだってできなくはない」

「思った通り、社員は言ったさ。ここずっと、決まった時間に退社してるって。今夜も」


彼女は右の眉毛を吊り上げ、下唇を噛む。


「あたしだって女だから、直感できる。悪いけど、感じるから」


僕は浅く、何度か息をする。


「違うんだ、悠理。そうじゃない。迷ったのは事実だけど・・・」
「で、その相手と一緒になる為に出て行くの?」
「違う。僕は、ちゃんと君へ責任を取る。それが精一杯の僕ができる愛情だと」


また一歩近付く僕に、悠理は動じなかった。


「清四郎、想いは、自由さ。でも、あたしはダメなんだ。別れたいのかそうじゃないのか、どっちかだよ。
あたしと別れたいなら、はっきり言って欲しい。愛とか責任とか、そんな理屈いらない。
あたしと別れて相手の女と一緒になりたいならそれでいい。
別れたいならそうするから!どっちかだよ!」


蒼白い悠理の頬に、一滴の涙が零れ伝う。
濡れた長い睫毛の奥に、強い光を放つ瞳が見える。
僕は悠理の、この不器用なほどまっすぐな正義感、純粋な心に惹かれた幼い頃を思い出す。
誰よりも、悠理が欲しいと願っていた。


「別れ、たく、ない・・・」


緊迫した空気が一息に和らぐと、悠理は床に座り込んで大声で泣き始めた。
僕は小さな声で何度もすまなかったと言い、彼女を強く抱き締めた。



悠理が作ってくれた熱いコーヒーを、ソファに二人座って飲む。
野梨子との不思議な再会を口にしようかどうかと悩んでいると、先に悠理の方から話始めた。


「この間、野梨子の夢を見たよ。まっすぐな髪が背中まで伸びていて、それで青のワンピースを着てた。
肌の色が透き通るみたいに真っ白で、少しやつれた感じだったけど、すごく綺麗になってた」


夢の中で二人は、柔らかい陽射しに包まれた公園のような場所で偶然再会した。


“野梨子、ずいぶん久しぶりだね”
“嬉しいですわ。私は悠理にとても会いたかったの”
“相変わらず綺麗だね。ちょっと雰囲気が変わったみたい”
“ええ、そうなの。これは私ではないの”
“え?”
“でも、私なの。悠理、私は私であって、私ではないの”


ふっと陽射しが弱くなり、野梨子が見え難くなる。


“清四郎も今、私と同じなの。でもあの人、状況に合わせるのが難しいんですわ。
行き詰まって、自分に合った場所へ向かえないでいるんですの。だから私の所に来ましたの”
“清四郎と会ったんだね”
“ええ、会いましたの。大変辛そうでしたけど、きつい事を言って差し上げましたわ”
“何て言ったの?”
“それは時期に分かりますわ。大丈夫。悠理は安心していてね”


大きな漆黒の瞳を細め、母親のような愛情で微笑む。


“野梨子も辛いの?”
“心配しないで下さいな。私は清四郎と違って、目の前の現実を受け入れられるように自分を変える努力をしましたの。その時は大変辛かったですけれど、もう大丈夫ですわ”
“良かった”
“私と清四郎は似ているようで、全然違いますのよ。捉え方も適応の仕方も”


やがて野梨子の姿は白い光を放ち、それが彼女を象った。


“清四郎の好きな人が悠理で良かった。だって私も悠理が大好きですもの”


悠理はその時、何の不思議さも感じなかったと言う。


“あたしも野梨子が大好き”
“ありがとう。あの人の好きな人も・・・・・
悠理、私そろそろ戻らないと行けませんの。さようなら。またすぐに会えますわ”


悠理の目の前で野梨子は光となって消えた。



「夢だって分かってたから、あたしはちっとも怖くなかった。ただ野梨子が心配だった。魅録と上手くいってないって結構前に話してて知ってたし、体調も崩してるって聞いてたから」
「地方の別荘で療養しているそうですよ。心配はいらないようですけど」
「ふうん」


悠理の夢と僕の現実の記憶はどこか似通っていた。
親しい友人を思う余り夢となって現れたのか、愛する人の想い人が自身の親友と言う辛い現実に、夢で譲歩をしたのか。
それとも・・・それとも僕と悠理が潜在的に野梨子へ救いを求めたのか。
真実を明らかにするには、本人に直接会うまでは分かるまい。
それに僕の記憶は。
コニャックが醸し出した幻想なのか、覚束ない部分があるのは確か。
やはりこれも、本人と会うまでは答えを出せないように思えた。


野梨子との再会が“夜明け”と言うのなら、それまで夢の中を悠理と共に彷徨うのも悪くない。
あの店のカウンターで聴いた曲が、僕達を現実に誘うセレナーデであるなら尚更に。






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夢を見させて 3

硬いマットで痛む背中が気になって目が覚めた。
普段とは違う周りの光景に一瞬目を疑ったが、すぐにそこが会社の自分専用の仮眠室だと気が付いた。
痛む体を起こし、小さな窓から入る陽射しを眺める。
壁の時計は午前六時少し前を示していた。
僕はベッドから降り、窓のカーテンを開ける。
窓の外はまだ汚れていない、澄んだ空気で満ちていた。
隣にあるシャワー室でシャワーを浴び、ロッカーに入れて置いた昨夜とは違う下着とスーツに着替えた。
ベッドを軽く整え、地下にある喫茶店まで階段を使って降りた。
会社には既に出勤している社員が数人おり、早朝から営業しているこの喫茶店で朝食を取っていた。
僕は適当に挨拶をして奥の席を陣取ると、入り口へ背中を向けて座り、誰にも話しかけられないように新聞を広げた。



「清四郎は一番大切なものを手に入れておいて、手放してしまいますの?」


昨夜の野梨子との会話が甦る。


「不自然な気持ちがするんです。隣にいるのが悠理だと」
「それは、どういう意味ですの?」
「ずっと、幼い頃からずっと、隣にいるのは野梨子だった。それが当たり前の事だった。だから気が付かなかったんです。本当に大切な人がすぐ傍にいる事を」
「清四郎にとって本当に大切な人は私だと気が付いたんですのね」
「ええ」
「それで私をどうしますの?悠理と別れて私と一緒になりますの?でもいつか、またそうではなかったと気が付いたら?
魅録と同じように、私を悠理の代わりにしますの?見立ててしまいますの?」



いつの間にかテーブルに並べられたモーニングセットがすっかり冷めているのに気が付いた。
僕がコーヒーに口を付けた時、悠理からの着信を取ると、今夜の予約したレストランを告げられた。
彼女には仕事で遅くなって家には帰れなかった事、今夜は予約した時間より少し遅れる可能性はあるが必ず行くと言って電話を切った。
その日は思った以上にスムーズに撮影等が進み、悠理と約束した時間に間に合うように仕事が終わった。
けれども僕はすぐレストランには行かず、会社の仮眠室から野梨子と過ごした店へ電話を入れてみた。
店の者に彼女の名を告げて来店しているかどうか訊ねてみたが、そのような客は来店していないと言う。
僕はまたかけ直すと言って電話を切った。
約束のレストランへ行くと、悠理はすでに椅子に座って待っていた。
彼女は薄化粧をし、大振りの真っ白なシャツにタイトな黒のスラックスを穿いていた。
胸元が大きく開き、透き通るような肌が見えた。
左の薬指には、僕が贈った婚約指輪が光っている。今夜身に付けている唯一の宝飾だった。
僕達はそこでゆっくり食事をし、少しだけワインを飲んだ。
悠理は嬉しそうに近況を話す。
彼女も野梨子と同じように母親と共に働いている。
ただ今は、僕との結婚に向けて準備をしている方が主だった。
食事も後半になった時、彼女の笑顔が消えかけた。


「ご飯終わったらどうしよっか?また仕事に戻るの?」
「悠理はどうしたいの?」
「あたしは・・・清四郎に任せるよ。ワガママ言わないもん」


僕は彼女へと手を伸ばし、その左手に重ねた。


「今夜はね、悠理。とっても素敵なプレゼントを用意していたんです」


僕はそう言うとレストランを出た後、彼女をタクシーに乗せた。

悠理を抱いたのはいつだったろうと思いながらシャワーを浴びる。
一ヶ月前、あるいはもっと前だったかも知れない。
彼女は突然の僕のプレゼントに戸惑いながらも、驚きと喜びを隠せずにいた。
食事の後、僕は急遽予約したホテルへと彼女を連れて行った。
スウィートルームとはいかなかったが、充分な広さの部屋を確保できた。
部屋へ案内されて二人きりになると、僕は悠理を抱き上げ、その広いベッドまで運んだ。
彼女が達するまで時間をかけて深く交じり合い、それを何度か繰り返すと、彼女は満たされたように安心して寝入った。

時間は午前二時。僕は例の店へ電話をかける。
けれど野梨子らしい客は、今夜は来なかったと告げた。
ソファに身を投げ、また昨夜の事を回想する。


「清四郎、私の気持ちはどこにありますの?」


野梨子は氷の間を流れるコニャックの行方を辿るように視線を動かす。


「魅録の時もそうでしたわ。私の気持ちは、いつも行き場がありませんの」
「野梨子、すまなかった。僕の勝手な想いは、あなたに迷惑をかけているんですね」
「想いは、自由ですわ。けれど責任を取らなければなりません」


今は愛せないと感じても全力で責任を取る、それが清四郎にとって必要だと思うんです。


「悠理への責任、と言う事ですか?」
「それは清四郎が一番分かっていらっしゃってよ」


野梨子はグラスのコニャックを飲み干す。


「私、明日から地方へ出張ですの。母様のご友人に呼ばれてますから、ここへはしばらく来れませんわ」


そう言って席を立つと、見送ろうとする僕を遮った。


「私を探さないで」


確かに彼女は口にした。
けれど僕にはその時、言葉の意味が理解できなかった。
悠理と過ごした日から数日間、僕は例の店を訪れたが、やはり野梨子は来なかった。
出張と告げられても府に落ちず、思いきって白鹿家へ電話を入れた。
信じられない返事が耳元へと届く。


「お嬢様は数年前から体調を崩しておりまして、旦那様が持つ地方の別荘で療養中でございます」


冷静を保てず、幼い頃から知るその家政婦に何度も野梨子の居場所を問う。


「例え清四郎お坊っちゃまでも、お嬢様の居場所を伝える訳にはいきません。申し訳ございません」



~薔薇がセレナーデに合わせて踊っている

星は光り輝き

今宵  どんな夢を見せてくれるのであろう?~



脳裏に、詩が響いた。





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夢を見させて 2

浴室から出ると、悠理がキッチンでコーヒーを淹れていた。
僕はダイニングテーブルに着き、新聞を手にする。


「食事は?簡単に作ってあげようか?」
「いえ、どこか途中で取ります。コーヒーだけでけっこう」
「ふうん。ねぇ、今夜は早く帰って来れる?」


手渡されたコーヒーカップを見つめながら今夜の予定を思い出す。


「多分遅くなります。スタジオで撮影があるし、コピーライターと新聞広告の件で打ち合わせないといけない」


嘘ではない。
けれどそれは十九時位までで終わる予定だった。


「ずっと一緒に夕食を取れてないよ。別のスタッフに代わってもらえないの?」
「無理ですね。最終的には僕の判断が必要だし、時間がないから」


コーヒーを飲み干し席を立つ。


「そろそろ行きます」
「うん。分かった」


僕は悠理に背を向けて着替えの為にベッドルームへ向かう。
今夜の野梨子との約束に少し後ろめたさを感じながら。
着替えを終えてリビングを覗くと、悠理がソファにぼんやりと座っているのが見える。
淋しそうなその姿に、思わず近付いて隣に座った。


「忙しくて、すまない」
「ううん、いいよ。仕事だから」


彼女は僕を見上げて微笑んだ。
心が締め付けられるように痛む。
僕は彼女を抱き寄せ、柔らかな髪の毛に口付ける。


「明日の夜は一緒に過ごそう。何とか時間を取るから」
「うん。約束だよ!」
「ええ。悠理の好きなレストランを予約しておいて下さいね」
「分かった!任せて。美味しいお店探しとく」


悠理は嬉しそうに僕を玄関まで見送った。



昨夜と同じ時間にその店に行くと、野梨子はまだいなかった。
全く同じ席のカウンターで、コニャックのストレートを注文する。
腕時計を何度も確認したが、時間に間違いはない。
僕は本当に野梨子とこの場所で会ったのだろうか。
昨夜の会話は?そして今日の約束は?
全て僕の錯覚だったとは考えられないだろうか。
不安を覚えながらカウンターに両肘をついて額を押さえていると、誰かが僕の肩に手を触れた。


「遅くなってごめんなさい」


顔を上げるとそこには野梨子が立っていた。
深い青色のワンピースを着て、背中に長い黒髪が広がっていた。
以前と変わらず小柄ではあるが、しっかりとした女性になったのが分かる。


「来てくれないかと思った」
「ちょっと仕事が立て込んでいて。ごめんなさい」
「忙しいの?大丈夫ですか?」
「ええ、もう大丈夫」


野梨子も昨夜と同じ席に座ると、コニャックのストレートを注文した。


「ここにはいつも来るの?」
「いいえ、昨夜が初めて。近くの知り合いの所には時々行きますけど」
「僕も。前から気になっていたので。昨夜初めて入りました」
「偶然でしたのね」
「ええ、偶然」


僕は野梨子との偶然を密かに喜んだ。
彼女の前にコニャックの入ったグラスとチェイサーが置かれる。
僕達は同じようにグラスを上げて言葉なく乾杯した。
琥珀色の液体が野梨子の細い喉を通るのを想像する。
けれどそれは彼女の体に浸透する事がないように、全く顔色が変わらなかった。


「そんな飲み方、どこで覚えたんです?」
「どこで?さあ、どこだったのかしら。覚えてませんわ。けれどこの飲み方だと時間が長引かないでしょう」
「長引くとは?」
「水割りだと飲みやすくて、いつまでも飲んでいたくなりますもの」


僕は彼女の答えに思わず笑ってしまう。


「野梨子らしいですね」
「ええ。でもきっと、魅録がそうさせたんだと思いますわ」


僕の顔から笑顔が滑り落ちるのが分かる。


「魅録にはいつも時間がありませんから。こうしてお酒をストレートで飲んで、短い時間でお別れしなくてはなりませんの」


店内に静かに曲が流れる。昨夜と同じ~moonlight serenade~が。


「忙しいから。時間がないから。それが野梨子達の別れた理由とは、納得いきませんね」


僕が知る二人なら、何故そんな理由で別れるのであろうと考える。
例えどんなに過酷な状況に於いても、この二人は裏切り合う事はないと思えるのだ。


「魅録は、私の後ろに誰かを見ていましたの」
「え?」


野梨子は二杯目のコニャックに氷を入れるようカウンター越し言う。


「今夜はちょっとだけ長引きそうですから」
「魅録が、何です?」


彼女がグラスを受けとると、カランと氷が気持ち良くなった。


「あの人は私を誰かに見立てていますの。その誰かは自分の思い通りにはならなくて、だから私を代わりにして私を束縛する事で安心を得ていたんですわ」
「それは事実なんですか?」
「多分」
「多分って・・・その誰かって言うのは僕も知っている人なんですか?」


氷がまた音を立てて崩れる。


「清四郎も私もよく知ってる人。無邪気で正義感があって、本当の優しさと愛を持っている」


“ああ、やはり”と僕は思う。
やはり魅録は彼女に好意を持ったままでいたのか。
僕と魅録が知り合った中等部から、彼女の事で競い合っていた。
でも友達のままでいようと、選ぶのは彼女に任せようと決めていた。
彼女の想いの方向が僕へと向かい始めたのをきっかけに、魅録は彼女から離れ、密かに彼に想いを寄せていた野梨子と付き合いだした。


「今でも、時々こんな感じに魅録と会っていますのよ。お友達として。だからもう彼は私を見立てたりはしませんわ」


一度は恋人同士として心を通わせていながら友達に戻り、どんな気持ちで会うのだろう。
魅録はまだしも、野梨子に彼を想う気持ちがあるなら辛いに違いない。
彼女の心中は計り知れない苦しみで一杯だろう。


「清四郎達はどうですの?婚約会見は拝見しましたけど、結婚はまだでしょう?」
「ええ。来年辺りには、悠理と正式な形にしたいと思っているんです」
「良かったですわね。おめでとう」


僕は新しいコニャックを注文し、チェイサーの水を飲む。


「野梨子、今の僕はね、先を追うよりも確実な安心感で包まれていたいんです。
慣れ親しんだ空間の中で、競い合う事なくゆったりと過ごしたい」
「それはこれから、悠理と共に築き上げて行けば良いのではなくて?」
「彼女と?今の生活をこのまま過ごしていたら、本当の自分を見失ってしまいそうだ」
「それはどういう意味ですの?悠理との生活を捨ててしまいたいと?具体的に言ってくれませんと分かりませんわ」


僕は言葉に詰まる。
そして本当の自分の気持ちを探す。
野梨子との突然の再会が、僕を狂わせているのか。
答えに躊躇していると、店内に流れる曲の音量が少し高くなったように思えた。



~君の家の門に立ち 歌うは月影の唄

六月の夜

君の手のぬくもりを感じるまで

僕はいつまでも ここで待つよ~



ハスキーなヴォーカルが、僕の胸の奥に届いた。





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夢を見させて 1

朝になったのだと分かったのは、悠理がリビングの重いカーテンを開けたからだった。
ソファの上で皺になったワイシャツとスラックスが、汗をかいた身体にべったりとくっついたまま眠っていたようで不快だった。


「清四郎、帰っていたの?」


悠理が訊く。
僕は“ああ”と口の中で答え、はっきりしない意識を呼び起こしながら身体を起こす。


「コーヒーを淹れておくから、シャワーを浴びて来なよ。今日の出勤は何時?」
「今日の、出勤・・・」


言葉を探す僕をもどかしく思ったのか、彼女は黙ってリビングから出て行った。
僕は洗面所で下着を洗濯篭に放り込み、ワイシャツとスラックスをクリーニングの袋に丸めて入れ、浴室に入ってシャワーを浴びた。
熱いシャワーを充分に浴び、髪を丁寧に洗う。
それから昨夜の記憶を辿る。

昨夜・・・僕は企画会議の後会社に戻ってデスクの上にあったデザインラフを確認した。
来春オープンする剣菱のテーマパークのデザインラフ。
それに伴ったテレビCMの15秒と30秒用のコメント、1分間のインフォメーション用のコメントも原稿用紙に走り書きでデスクの上にあった。
まるで僕がアナウンスするかのようにストップウォッチまで置いてある。
僕は大きなため息を吐いて椅子に深く座り、目を瞑って今度は深呼吸をする。
それから今夜はこれ以上仕事をするのを止め、軽くどこかで酒を飲んで帰る事に決めた。
タクシーで以前から気になっていたその店に向かう。
ビルの地下にあるその店のスチールドアを開ける。
中は薄暗く、エアコンディショナーが程好く効いていた。
静かにジャズが流れていて、曲は多分~moonlight serenade~だったと思う。
この曲は僕がこの店に通う僅か数週間の間、流されていた。
カウンターの一番奥には髪の長い女が一人座っている。
僕は彼女から二つ隣の席に座ってコニャックをストレートで注文した。
薄暗い店内を見回し二杯目のコニャックを頼んだ時、“清四郎”と僕の名前を呼ぶ声が横から聞こえた。
声の方を振り向くと、髪の長い女が僕を見て微笑んでいるように見える。
彼女は椅子から立ち上がり、僕の傍へと歩み寄った。


「野梨子?」
「ええ。清四郎、やっぱり」


髪の長い女は僕の幼馴染みの野梨子で、すっかり大人の女性になっていた。
彼女にそう告げると嬉しそうにまた微笑み、僕には全然変わらないと言った。


「僕はちっとも成長してませんか?」
「成長していないんではなくて、当時から変わらずお気難しそうだと思ったんですわ」
「気難しい?野梨子がよく知る僕は無愛想な印象だと?」
「清四郎ったら久し振りに会ったのに突きかかりますのね。悠理と上手くいってませんの?」
「さあ、それこそ変わらずですよ。彼女は成長しませんから」
「あら。子供のような悠理が好きで一緒になったんではなくて?」
「まぁね。そんな時もあったかも知れません」
「そう・・・お仕事は?剣菱で頑張っていらっしゃるでしょう。悠理の為に医者になるのを諦めた時は驚きましたけど、清四郎にはそちらの方が合っていると思いますわ」
「今は販促的な事ばかりですよ。広告マンのようにね」
「何だか不満ばかりですのね。ねぇ、私に清四郎と同じお酒をご馳走して下さる?」


僕は数年振りに会う懐かしい幼馴染みを目の前に、愚痴ばかりを溢していた事に気付かずにいた。野梨子に指摘されるまで。


「すみません。野梨子の顔を見たら、一気に以前に戻ったような錯覚を起こしました」


彼女の前に僕と同じコニャックのストレートとチェイサーが置かれる。
僕の前にも三杯目のコニャックが置かれ、僕達は無言のままにグラスを上げて乾杯した。
僕は話題を野梨子へとすり替える。その方が会話が弾むのだろうから。
彼女は確か、僕と悠理が付き合いだす前に魅録と気持ちを通じ合わせていたはず。
僕は魅録との近況を訊いた。


「魅録とは高校を卒業してからも少しお付き合いをして、でもお別れしましたの。
彼は防衛大に進学して寮に入りましたし、週末も外泊が難しくって会う機会が余りありませんでしたから。
私も弟子を持ちましたし、お互い縛り合うのは止めにしましょうって。
縁があれば必ずまた一緒になれると信じてましたし」
「でも、今は?魅録は卒業したでしょう?」
「卒業はしましたけど、そのまま大学の研究科にまた進学と言う形で残っていますわ」
「今も忙しいと」
「ええ、まぁ、そうですわね。とても」


言葉を濁す彼女の真相を探る事はしなかった。その時は、まだ。
彼女は壁の時計を気にしだし、僕は会話でそれを阻止した。
でも時間は、無情にも過ぎて行った。


「自宅でしょう?」
「ええ、もちろん。独り暮らしには憧れていますけれど、父様も母様も許しませんわ」


変わらない時間があの場所にある。
僕は隣り合った僕達の自宅を思い浮かべる。


「タクシーで送りますから、もう少し良いでしょう?」
「でも、ずいぶん遅くなりましたわ。明日も早いですし、お互い。そうでしょう?」
「じゃあ、後一杯だけ。野梨子も、ね」
「分かりましたわ。では、後一杯だけ」


僕はまた同じコニャックを二杯ストレートで注文し、自分の分のチェイサーも置いた。
もう一度グラスを上げ、野梨子が飲み干すのを確認してから自分のグラスを空けた。
野梨子のコニャックは、まるで喉を通り抜けるように静かに胃に流れ、僕のは喉をただ熱くした。


「強いんですね、お酒」
「ええ。強くなるしかなかったんですわ」


彼女は椅子から立ち上がった。
通りに出るとタイミング良くタクシーが来る。
野梨子が手を上げると、すぐにハザードランプを点滅させて停車した。
ドアが開くと、彼女は僕に乗るように告げる。


「送りますよ」
「ありがとう。でも私、寄る所がありますの」
「じゃあ、そこまで送ります」
「すぐ近くですわ。ちょっと人に会って話をしなくてはならない事を思い出しましたの」
「こんな夜中に?誰と」
「一人でも行ける大丈夫な場所。では」


彼女がタクシーの運転手に視線を向けた時、僕は片手を上げてそれを止める。


「野梨子。また明日、あの店で会える?」
「ええ・・・でも・・・」
「お願い、会いたいんだ。少しだけでいい、話がしたい。同じ時間、あの店で」
「分かりましたわ。今夜と同じ時間、あの店で」
「必ず」
「ええ、必ず」


今度の視線は、二人運転手に向けられる。
ドアが閉められ、音を立てずに車は動き始める。
僕が野梨子を振り返った時、そこにはもう彼女の姿はなかった。





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