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push me away

push me away ~the last~

剣菱家に着くとすっかり日が暮れてしまった。
けれどもちろん、その時間にはまだ豊作さんは帰宅していなかった。
五代さんには借りた本は悠理に渡しておくと伝え、彼女の部屋へ案内してもらった。

「こんばんは」

僕がにこやかに部屋に入ると、悠理の顔が強ばったように思えた。

「あれ、どうしたの?」

巨大なベッドに寝転がって漫画本を読んでいたらしく、ベッドの上には実にいろいろな物が散らばっていた。
まずは数冊の漫画本、スナック菓子袋、ペットボトル・・・
起き上がった彼女の髪はボサボサで、いつも以上に幼く見える。

「知ってます?野梨子の家の物置小屋に、今度僕と悠理の二人だけの住まいが用意されるんですって」
「へ?え?え?」
「次の日曜日、畳の張り替えが行われるそうですよ。手伝いに行きます?」
「え?う、そ・・・」

本当にびっくりしたように目を見開いた。
僕は声を出して笑い、ベッドの端に座る。

「冗談ですよ。さっき野梨子の家に遊びに行ったんでしょ?その時、ほら、スマホ忘れたようですよ」
「あ、あんがと。ちょうど取りに行かなきゃって思ってた」
「あと、豊作さんから本を借りていたので、それを渡して欲しいなぁと」
「りょーかい。それでわざわざ来たんだね」
「表向きはね」
「うん?」

僕がじっと見つめていると、彼女は指で柔らかな髪の毛をすいた。
それから天井を見上げ、何かを考えるようにし始めた時は、冷めたような表情になっていた。
多分、このままにしていると、彼女はまた僕を避けるようにするのであろう。

「あのね、悠理・・・」

僕がその顔に声をかけると、彼女は急に話し出した。
学校での出来事や魅録との会話、先生の悪口・・・何もかも僕を避けるためになされた会話だった。
最初は口を挟んでしまおうと思ったが、彼女の気が済むようにさせておいた。
そうして話題がなくなると、ぼんやりしたような視線を僕に向けた。

「部室の水道管ね、あれ、シャワールームの床下で水道管がひび割れていたみたいですよ。だから水漏れがあったんですね」

彼女の表情は変わらない。

「あの後、校務員から聞いたんです。僕達の校外学習があった日に合わせて修理してもらったんですよ」

やがて表情は、白い顔から滑るようになくなった。

「今日はね、悠理に謝りに来たんです」

僕の言葉は、更なる誤解を招いたように彼女の心を貫いた。
彼女の茶色に澄んだ瞳は一瞬の内に涙で曇った。
長い睫毛は濡れ、音を立てるように頬に滴が流れた。

「あの時のこと。でもね、突発的に行ったことは謝罪しますが、行為そのものは、僕の正直な気持ちなんです」

彼女は、よく分からないと言う風に顔を左右に振った。

「あんな狭い場所で突然後ろから悠理に触れてしまったこと。本当に悪かった」

こんな時でも素直ではない僕は、上から目線で謝罪してしまう・・・
彼女は両目を伏せ、ポロポロと涙を流した。

「けれど、悠理に触れたいと思ったのは、本当の僕の気持ち。これは、複数の女性に試した結果・・・」

そこでしまった!と思った時は遅かった。
スピードは、今でも悠理には敵わなかった。
抱き枕のような大きさの枕が、僕の顔面に飛んできた。

「清四郎のバカッ!!そんなこと、わざわざ言うために来たのかよ!
もう、もう・・・これ以上傷付きたくないよっ!!」

今度は大声で泣き出した。

「誤解だ、悠理。最後まで話を聞いてくれ」

僕は彼女が泣き止むまでしばらく待ち、落ち着くのを見計らって口を開く。

「衝動的に悠理を怖がらせてしまったから、すぐに謝らなくてはと思ったけれど、悠理はまるでそんなこと気にしていない風にするものだから、もしかしてなかったことにして欲しいと間接的に伝えているのかとも思ったんです。タイミングをつかんで僕の行為について話すべきだとは分かってはいましたが、悠理にその件については避けられているようにも思えてね。ちょっと様子を見た方が良いのかなって」

「冷静になって考えてみると、突発的、衝動的行為の裏には、僕の悠理への想いも・・・あると感じました。けれど、僕達の年齢って複雑でしょ?想いより先に体が反応する時も、その、ある訳で。特に十代の男子はね。多感な時期ですし」

「それで、まあ、悠理以外にも女の子に対してそんな突発的になれるものなのかと・・・ま、野梨子や可憐は身近な存在だし、大切な仲間だし。でもね、どんなシチュエーションでも、悠理への行為と同じ気持ちになんてなれなかった」

僕は次に何が飛んできても良いように、ちょっとだけ身構えた。
けれど、悠理は大きな枕を抱え込んだまま俯いてばかりいた。

「悠理、あの時は、突然、すまなかった。本当に・・・」

僕の言葉に、今度は枕に顔を埋める。そして左右に頭を振っている。

「悠理、何とか言ってくれませんか?謝罪が足りないのならもっと気持ちを込めて謝るし、帰れと言うならそうします。距離を置きたいと言うなら・・・え?」

わずかに耳に届くような細い声で、彼女は何か言っている。

「何?」
「出来心、だと思ったの・・・清四郎の」
「うん」
「だから、もうなかったことにして欲しいって。そんな風に見えたんだ、清四郎が」
「すまなかったね」
「あたしもどうしていいのか分かんないし、正直、あんなの、怖かったし」
「そうですよね・・・」
「どうしたらいいのか、どんな風にしていいのか、ほんとに分かんなくて」
「嫌な思いをさせて、本当にごめんなさい」

悠理はその時(今まで枕に顔を埋めたまま話していたが)顔上げ、僕と目が合うとパッと頬を赤くした。

「・・・嫌だなんて、思ってないよ、ちっとも」
「え?」
「すんごくびっくりしたけど、冗談ならそうだと言って欲しかったけど、それならそうなんだって受け入れなきゃって思ってたけど。でも、清四郎の本当の気持ちだったらいいなって・・・」
「僕の冗談なら、受け入れる・・・ですか」
「そうだよ」

そう言った彼女はすうっと大人の女性を感じさせた。

「清四郎の気持ちを確かめられないのなら、自分の中で決着をつけようと思ってた。冗談のつもりなら、あたしの中で勝手に生まれた想いは、どこにも行けないから」

僕はベッドから立ち上がり、悠理の後ろへと回る。
華奢な肩や白く細長い首、柔らかな髪。
これが、衝動的に行動を起こさせた後ろ姿だった。
今度の僕は、優しくその肩に両腕を回して抱き締める。
一瞬肩を強ばらせたが、その力を抜き、僕の体に全てを委ねてきた。

「あったか~い」
「こうすると気持ちのいい季節です」

こめかみに頬を寄せると首をすくめ、くすぐったいと言った。

「もっと早く、打ち明ければ良かったです。意外にも、僕は臆病だった」
「あはは。お互いさま。でもあんなこと急にされると、なんて訊いていいか分かんないよ、実際」
「ま、それだけ悠理の後ろ姿が魅惑的だったってことです」
「よっく言うよ。人を驚かせといて」
「それは本当にごめんなさい、でした」

笑いながら、悠理も僕に頬を寄せる。
ああ、こうなると分かってたなら、もっと早くに言うべきだった。
でもこの時間が、きっと彼女を綺麗にさせたのだと勝手な僕はそう思った。




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push me away side:s

野梨子に頼まれて、さっき悠理が彼女の部屋に忘れていったと言うスマートフォンを届けに剣菱家へ向かう。
ちょうど僕は悠理の兄である豊作さんに用事があったので、ついでに・・・と言う形で預かった。
本当は、悠理に話があった。
と言うのも、もう数週間前、そう確かあれは夏の終わりだ。
僕と悠理の間に、ちょっとした出来事があった。
いや、原因は、僕にある。
彼女の後ろ姿に、今まで経験したことがない感情が生まれてしまった。
シャワールームという狭い空間、または二人っきりというシチュエーション。
普段とは違う異空間が、僕をそのようにさせたのかも知れない。
僕だって十代の健全な男だ。あのような感情が出ても仕方がない。
けれど選りに選って?
選りに選って悠理に対してそんな感情が芽生えるなんてね。
因みに僕は、別の女の子でもそのような感情になるのか試してみた。
悠理だけじゃない、十代特有の自然現象なら、女の子に対してそうなっても致し方ないのだから。

まずはメンバーとは言え、男性陣の目を引く可憐。
客観的に誰が見ても綺麗である。
好みもあるかも知れないが、一般的な美人である。
そんな彼女が、季節の変わり目だから風邪をひいたと言って学校を休んだ。
でも多分、本当の理由は、朝に降った小雨のせいであろう。
きっと、クリーニングから戻ったばかりの制服が汚れるのが嫌だとか、新しいコートが濡れるのが嫌だとか、そんなところだろう。
年上の彼女とデートの約束だと言う美童の代わりに、宿題プリントを、クラスこそ違うが可憐に届けることにした。
彼女の母親が、部屋の前まで案内してくれた。

「可憐ちゃん、清四郎君よ」

後で可憐にお茶を淹れてもらってね、と階下のジュエリーショップに戻っていった。

「清四郎?珍しいわね、野梨子は?」

部屋に入ると案の定、可憐は部屋着でベッドに寝そべっていた。
女の子らしく、ほのかに良い香りが部屋中に広がっている。

「野梨子は特別出演で、演劇の練習だそうです」

ふうん、と言って立ち上がると、コーヒーを持ってくると部屋を出た。
僕は一人がけのソファに座り、部屋中を見渡した。
綺麗ではあるが、あちらこちらに脱ぎ捨てたような服がかかっている。
それに・・・ベッドの上には下着らしい感じのものが見える。
けれど僕は、気づかない振りで行こうと思った。

「今日は何の用事?」

コーヒーをトレーに載せて戻ってくると、ばつが悪そうにベッドに座る。

「風邪は良くなりましたか?宿題プリントを届けに来ました」
「う、うん。大丈夫よ。宿題プリントね。後でやるわ」
「明日までにできますかね?」
「多分ね」
「あ、でも。今はお天気曇り空ですが、今日夜半過ぎからまた雨のようですよ」
「ああ、そう。あ、わたし、またちょっと寒気がしてきた。清四郎、コーヒー飲んだら帰った方がいいわ。うつると大変だから」

可憐は部屋着で着ていた厚手のトレーナーを脱ぐと、近くにあったパジャマを羽織るようにしてさっとベッドに入った。
一瞬、大胆に胸元が見えたような気がしたが・・・
意識し過ぎているからなのか、何のトキメキも起こらなかった。

外に出るとすでに小雨が降っていた。
秋の雨は底冷えするように冷たく、どこか砂の臭いが雑ざっている。
僕は朝から持ち歩いていた傘を広げ、深いため息をひとつ吐いてから歩き始めた。
多分可憐は、明日も休むのだろう。
本当に風邪なら心配だが、でもそれは大切な仲間として、友達としてであって、それ以上ではないのだと確信した。


次は、幼馴染みの野梨子。
兄妹のように赤ん坊の頃から育てられ、互いの弱点すら知り尽くしている相手に・・・果たしてそのような感情が芽生えるのだろうか?
同好会の帰り、タイミングよく彼女に家の門の辺りで呼び止められた。

「清四郎、今帰りですの?ちょっと手を貸していただいてよろしいかしら?」
「何です?面倒なのは嫌ですよ」
「面倒なんてありませんわ。裏庭の物置小屋ですの」
「はいはい」
「“はい”は一回でよろしくってよ」
「はいはい・・・」

正面から裏庭に抜け、以前は弟子達が暮らしていたと言う小屋に入る。
けれど手入れがしっかりと行き届いており、まだ誰かが借りて住んでもおかしくないほど綺麗だった。

「物置小屋にしておくには勿体ないですね。魅録みたいにこちらを野梨子の部屋にすればいい」
「あら、嫌ですわ。夜なんて気持ち悪くてよ。でもさっき、悠理も同じように言いますので、“悠理の勉強部屋にしてさしあげます”と言いましたらかなり怖がってましたわ。霊的なものもおありでしょうけれど、近くに清四郎がいるのが、何よりも怖そうでしたわ」
「僕ですか?」
「ほら、この家の上に、清四郎の部屋の窓が見えますでしょ」

二人で見上げれば、なるほど僕の部屋の普段はほとんど覗かない小窓が見える。

「あそこから勉強しているか監視されたら、とても怖くていられない、と」
「見ますかね~、僕が」

ほほほ、と野梨子が笑う。

「覗くことがないように、清四郎の部屋もこの小屋に用意しておくと伝えましたわ」
「はぁ?」
「本当は清四郎に優しくして貰いたいんですのよ。可愛らしいじゃありませんか」
「僕はいつでも悠理に優しいですよ」
「あら、でも・・・最近の清四郎はとても冷たいってぼやいてましたわ。避けられてるみたいって」
「そんなこと、ないですよ!」
「でも、悠理がそう感じるのなら、そうなんですのよ」
「・・・分かりました。気を付けます」

冷たいって・・・僕が?悠理じゃないですか!
あの時から、僕を避けてるのは、悠理でしょう。

心の中で僕もぼやきながら、悠理とのすれ違いをちょっと悔やむ。

「で、悠理がさっきまでいたんですね?」
「そうですの。それで悠理にも物置の件を頼んだのですけどね、嫌だって言われましたわ。だって、悠理ですのものね。
でも今日はお弟子さんも父様も留守で困ってますの。奥の部屋の天井裏に、普段余り使用しない花器が収納してあると母様が。私では取れませんでしょ。だから取って欲しくって」

奥の部屋は広い和室で、多分、以前は住んでいた弟子達が稽古をしていたのであろう。
床の間には鑑賞用の軸がかけてあった。

「今でも毎日風を通しますのよ。物置とは言え、やはり思い出深いですわ」

掃除用具室から脚立を出してくる。
低めとは言え、小さな野梨子には大変重たそうだった。
僕は彼女からそれを受け取る時、その小さな体や腕に触れた。
小さな顔にも近付いた。
けれど・・・あの日、悠理と共用した時の感情は覚えなかった。

「ああ、それと。悠理ったらスマートフォンを忘れて行きましたのよ。悠理の所へ行く用事ありますかしら?」
「悠理の家ですか?」

けれど僕は頭を巡らす。
ちょうど良いチャンスだ。

「急ぎではありませんが、豊作さんから本を借りていたんです。ついでですから行ってみますか」

僕は自然を装うように悠理のスマートフォンを受け取った。
多分きっと、悠理は勘違いしているのだ。僕が冷たいだなんて。
僕は、悠理の方が僕を避けていると思っていた。
何故なら、突発的に、悠理に怖い思いをさせてしまったのだから。
距離を置きたがっているのなら、それに従うしかないと思っていた、けれど。
僕は部屋から豊作さんの本を取ると、急いで剣菱家に向かった。



もう一回くらい続きがあります~♪

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生徒会室内にある簡易給湯室。
あたしは小さな流し台の前に立ち、蛇口とにらめっこする。

「う~ん。水なんて漏れてないよな~」

今度はレバー部分を上げたり下げたりして、水の出を確かめる。

正直よく分かんないけれど、異常はないよな。

なんであたしがこんなことしてるかって言うと、可憐に急に頼まれたんだよね。

「校務員さんに言われたのよ。
学校の水道料金が例年に比べて多くなってきているって。学校中の蛇口を閉めても水道メーターのパイロットが回っているから、そちらの部屋で使用している蛇口から水漏れしてるんじゃないですかって。
こちらでは合鍵を預かってなくて確認できないから、自分達で調べて報告して欲しいって。
わたしと美童は今日それぞれデートだし、野梨子はお茶のお稽古って言っていたし。ごめん悠理。魅録と調べてくれない?得意分野でしょ?」

勝手なこと、言うよね~。
そんな魅録はバンドのお稽古だって、さっさと帰ったよ!

「清四郎が生徒指導室にいるから、戻ったら見てもらえよ」

ちょっとみんな~、勝手すぎやしない?
面倒なのは全部“あたし”なの?
いくら一番暇人だからと言って、ひどいよね!

とにかく!給湯室は大丈夫。
で、次はトイレ。って、どこも漏れてないって・・・
あちらこちらと歩いていると、清四郎が生徒指導室から戻ってきた。

「おや、珍しい。一人?」
「待っていたんだよ~」

事情を一通り話すと、清四郎が面倒くさそうに言う。

「そんなの、見ればいいだけでしょ。水が漏れてないならそう校務員に伝えたらいい。きっと地下の水道管ですよ。管に故障でもあるんじゃないんですか」
「うん」

あたしはもう一度流しやトイレを見直し、普段ほとんど使わないシャワールームにも言ってみた。
思った通り、床のユニット部分はカラカラに乾いていて、靴のまま一畳もない室内に入った。

「どう?漏れてます?」

突然後ろから清四郎が声をかけるものだから、びっくりしちゃって思わず声をあげてしまう。
それを聞いた清四郎も声をあげて笑う。

「なんだよ、来てくれるんなら見てくれよ」
「ハンドルをちょっと捻って見てもらえます?」

言われた通りハンドル部分を捻る・・・

「ぎゃあ~っ!」

錆び臭い、冷たい水がシャワーヘッドから勢いよく出てきた。
フックから外して捻るべきだった。

「やだ~」

びしょ濡れのあたしをおいて、清四郎はいなくなった。

「今タオル持って行くから」

と、向こうの部屋で言ってるみたい。笑いを含んだ声で。
あたしは濡れてしまった制服を諦めて、ハンドルやシャワーヘッドからの水漏れを確認する。

「どう?漏れてます?」
「う~ん、漏れてないな~。シャワーヘッドから水がちょっと滴るのは仕方ないいよね」

今度はヘッドを手に、ハンドルを何度か捻ってみる。

「ねぇ、ハンドル近くの壁の向こうから変な音が聞こえる」
「壁の向こう?」
「ゴゴォ~って」

あたしが清四郎と入れ替わろうと後ずさった時、押すようにして清四郎が入ってきた。
何も言わないで、あたしを閉じ込めるようにして。
えっ、て思った。一瞬だけ、頭の中が真っ白になった。
けれどすぐに意識が戻るように“どうしよう”って考える。
狭苦しいシャワールームで身動きできずにいると、左側の腰を手で押さえられた。
シャワーヘッドを持つ右手に、後ろから清四郎の腕が回りその手に重なる。
驚きの余りに声も出ず、体も動かない。
重なっている手のままシャワーヘッドを確認するように動かし、あたしの手から静かに外すとフックに返した。

どうしよう、どうしよう・・・

清四郎は何も話さない。
あたしは、声すら出せない。
まるで他人の手を見るようにして、自分の手を見ている。
その手には、清四郎の手が重なっている。
後ろから抱かれるように、体温が感じられる。
あたし達は、しばらくそうしていた。
数秒だったかも知れないし、数十分だったかも知れない。
やがて頭の後ろに、あたしの髪の毛に、熱い吐息がかかった。
そうして・・・清四郎の体は離れていった。


✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳


あの後、あたしは、まるで何事もなかったかのように振る舞った。
帰り道も、次の日も、その次の日も。
みんなと一緒に遊びに行った時も、勉強を教わっている二人の時間にも。
そして清四郎も、あの日に触れることはなかった。
さりげなく目で追っても、それらしい素振りすら窺えなかった。
お互い・・・なかったこととして、ただ時間が過ぎた。
あたしの中に、あの日の記憶だけが取り残されている。

清四郎、どういうつもりだったの?
あたしを、からかったの?

そうなら、そうだと言って欲しかった。
冗談だよ、悠理。真に受けたの?って、嘘なら笑い飛ばして欲しかった。
普段と変わらない態度が冷たく感じられて、それがあたしには辛かった。
そしてどこかで・・・自分だけの時を刻み、あの出来事が真実なのだと思いたくなった。

出来心だったんだね、ただ。
清四郎には過去の、過ぎた記憶なんだね。


あの日からあたしは、ちょっぴり大人になった。
時に男は、出来心で少女を女に仕立てあげるんだって知った。

清四郎、あたしは“恋”を知る前に、踏みにじられたような気持ちさ。
そうして憎もうとして、どこかで求める自分が悲しかった。





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