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君の笑顔が戻るまで

いつになく悠理のおしゃべりが弾んでいる。
僕達はランチの為のカレーライスを作っていた。
日曜日、朝から僕の家族は留守にしていて、母親の承諾を得てこうしてキッチンを使わせてもらっていた。
不器用な彼女に代わって野菜の皮をピーラーで剥く。
ピーラーだから彼女に任せられると思ったのに、なぜかじゃがいもが小さくなるばかりで一向に進まなかった。
おかしいのはあたしの腕じゃなくてピーラーだ、と彼女は言う。
僕は適当に相槌を打ちながら彼女の屁理屈を聞いていた。
それから話は仲間の一人である可憐に移る。
何でも最近新しい彼氏ができて、先週の日曜日はその彼への手作り料理を作ったから試食して欲しいと頼まれたのだとか。


「何の料理でした?」
「ぶりの照り焼きに筍ご飯、菜の花のからし和えとひじきの煮物、そしてお豆腐とワカメの味噌汁、だったかな」
「へえ~」


へえ、可憐がね、おふくろの味ですか。
本命の彼氏なんでしょうかね。


「ま、ぶりの照り焼きとまでは行かなくても、鍋いっぱいのカレーも美味しいですよ。
野菜たっぷりの具だくさんカレーと茸のスープ、グリーンサラダ」
「グリーンサラダならあたしでも作れるよ」
「じゃあ悠理はサラダをお願いします」


今度こそ任せてと言って、スーパーのビニール袋からレタスを引っ張り出してボールに水を流し入れながら葉をちぎる。


「なるほど。ちぎりレタスのサラダ、ですね」
「へっへ~!」


大雑把なちぎり具合でも彼女が楽しそうならそれでも良いのだと僕は思える。
何故なら彼女は・・・彼女は恋を失ったばかりだから。
恋、淡い恋。
失う、と言うよりも始まる前から終ってしまったのだ。
大親友に抱いていた淡い恋。
でも恋だと気付いた時、彼は僕の幼馴染みと想いを通わせてしまっていた。


「あたしがもうちょっと、ううん、もっとたくさん女の子らしかったら良かったんだよ」


悠理は言う。
彼の気持ちが自分に向かないのは、女の子らしくない性格の自分の所為だと責める。
そうじゃない。
彼は君を大親友として大切に想っている。仲間としての愛情を抱いている。
ただ、恋とは違うのだと僕は思う。
けれど彼女には理解できない。残念だけど、そうだった。


「アイツの想いはあたしから遠ざかってしまっちゃったけど、今でも大親友。
大切な仲間さ。だから応援してるんだ」


少し前の彼女との会話。
その時の記憶を思い返していると、悠理に名前を呼ばれたような気がした。


「ねぇ、清四郎ってば!」
「え?」
「さっきから呼んでるのに~」


僕は彼女を振り返り、野菜を炒めていたから聞こえなかったのだと言い訳する。


「たくさんできて余っちゃたら、野梨子ん家に届けようよ。魅録もいるかもしんないし」


本当にそう思っているの?無理に強がっているのではないだろうか。
僕は余計な詮索をしてしまう。
何でもないように振る舞って、心で泣いていたのでは居た堪らない。


「たくさんできちゃっても、僕と悠理とで食べちゃいましょうよ。すっごくお腹が空いているんです。それに例え余っても、夜だって明日の朝だって食べられます」
「うん、そうだね」
「時間が経てばもっと美味しくなるでしょ」
「うん」


僕の気遣いを察したのか、彼女は野梨子達の話を始める。
そう、何でもないように・・・
二人の出逢いや、付き合い始めたきっかけ。普段のデートや、今日の行き先まで。


「詳しいですね」
「まぁね。野梨子と付き合い始めてから、魅録はいつも楽しそうだからつい訊いちゃうんだ」
「うん」


僕が訊いてもいないのに、彼女は二人の事で知る全てを話し始める。
僕はまた適当に相槌を打って料理を進めた。
表面の灰汁を取り、カレールーを割り入れて溶けるのを確認する。
レードルで全体を混ぜるようにゆっくり回していてふっと気付く。
いつの間にか、彼女のおしゃべりが止まっていた。
不思議に思って振り向くと、彼女はカウンターの向こうのリビングのソファで声を上げずに泣いていた。
顔を両手で覆い、肩で息をするようにして泣いている。
僕は驚いてガスを消し、リビングに急ぐ。
彼女の隣に座り、かけてあげる言葉を探しながら顔を覗き込む。
昔から、僕は彼女の涙は苦手だった。
どんな風に慰めて良いか分からなかった。
これまでは、魅録が上手に彼女を慰めていて、すぐに彼女は笑顔になった。
けれど今は違う。魅録はいないのだ。
だから僕は彼女の細い肩に腕を回し、少しだけ抱き寄せる。


「辛いの?・・・辛いんだね」


左右に頭が動いたような気がした。
それでも言葉を発するどころか、嗚咽が漏れる事すらなく静かに泣いている。
それが、この恋の重さを表していた。


「悠理、無理しなくてもいいんだよ。泣きたい時はたくさん泣いて、気が済むまで泣いてしまっていいんだ」


涙で濡れた顔を上げる。表情のない瞳が揺らいだと同時に、彼女は大声を出して泣いた。
自分自身を抱き締めるようにして、体を小さく丸めて泣いている。
だから僕は、そんな彼女を包むように抱き締めた。
悠理は一瞬驚いたように体を強張らせたが、向きを変えて僕に抱き付いた。
彼女の熱い体や首筋の匂い、涙で濡れる僕のシャツが秘めた想いを呼び起こす。

こうなる事は、最初から分かっていた。
悠理、僕には分かっていたんだ。
悠理の恋心も、魅録の示す恋の方向も、野梨子の想いの行方も。
分かっていたんだ。
でも君には伝えなかった。憶測と言えばそうだけど、伝えなかった。
この恋の終わりを知る事は、君には必要だから。
それに“この恋”は終っても、恋はまだまだこれからも永遠に続く事を知って欲しかった。
これは僕の勝手な哲学、なんだけどね。
この恋の経験は、悠理の人生に於いて素晴らしい糧になると思うよ。

僕の背中で、彼女の両腕が彷徨っている。
だから僕は彼女の不安を解くようにしっかりと抱き締めた。
しばらくそうしていると彼女は落ち着いたように体の力を抜いて僕に凭れた。


「悠理、もう強がらなくていい。そのままでいいんだ。
今は辛くても、この恋は悠理にとって必要だったのだと思える時が必ず来る。そしてその時は、この涙を笑顔で受け入れられると思うよ」


彼女は僕の腕の中で小さく頷く。


その日まで、僕が傍にいてあげる。ずっと傍にいてあげるから・・・





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