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if only through ・・・ 前編

ノスタルジックな夕方の陽射しが、通りに長い影を落としている。
まだ日暮れには早く、柔らかい光の中を悠理は親友の野梨子宅へと向かっている。

「お茶会で使うはずだったお菓子がたくさん残ってしまいましたの。食べきるのが大変だから手伝って下さいな。美味しいお茶も手に入ってよ」

日曜日の昼過ぎに、そう野梨子から電話が入った。
自室でのんびり過ごしていた悠理は、本当は行きたい気分ではなかったが、そのように言われると仕方ない。
食べ物には目がないキャラクターでいたのだから、そこは自分を通さないと、野梨子の面目も立たない。
格子戸の門をくぐり抜け、玄関に入ると、すぐに若い弟子が気配に気付いて彼女の前に出てきた。

「いらっしゃいませ。お嬢様が奥のお部屋に」

そう言って廊下の奥を指差す。
もうすっかり顔見知りとあって、後は勝手にどうぞと言う感じ。

「うん。ありがと」

悠理は言う。
靴を脱いで廊下に上がると、普段使いのスリッパに履き替えて奥へと進む。
後ろで弟子が彼女の靴を揃えているであろう、背中に感じた。
奥のその部屋は、親友の部屋でも客間でもない。
野梨子が自分の親しい人と過ごす為の部屋であり、彼女だけが自由に使える部屋でもある。
古い時代を思い出すような洋室で、床板が黒く光り、日頃の手入れを思わせた。

「野梨子?」

ドアを三回ノックして返事を待つ。
すぐに“はい”と声が聞こえ、ドアが静かに開いた。

「ご足労を煩わせまして」

ちょっとふざけた感じに目線を上げて野梨子は言う。

「あっは!お菓子って言うから。仕方なく来てやった」
「そうですの。お菓子がたくさん残ってしまって。実は弟子が数を間違いましたのよ」
「お弟子さんやご近所さんに分けちゃっても良かったんじゃない?」
「だって美味しいお菓子ですもの。悠理に食べさせてあげたいですわ」
「うん。お菓子大好き。でもどんな和菓子?」
「ほら、これ。この箱の中、全部ですわ」

見ると白い大きめの箱には、生菓子がぎっしりと入っていた。
色とりどりに、また一つ一つ美しく個性があるその菓子は、まるで小さな置物のようでもあった。

「わぁ・・・これ、全部?」
「そうですわ。全部悠理のですわ。今お茶を淹れてきますから」
「食べれなくもないけど。お隣さんの清四郎も呼んだらいい。一人じゃ、もったいない」
「あら、悠理がどうぞ。それにお隣は今日、留守ですの」
「留守?なに?」
「まぁ、ちょっと。せっかくですからお茶を持ってきます。食べて待っていて」

可憐な花を思い起こすようなワンピースの裾を翻し、野梨子は部屋を出ていった。
悠理は木製の丸テーブルに菓子箱を置き、自分も椅子に座る。
窓からは外が見える。
それも美しい中庭。
夕方の陽射しが先程よりも深く、黒い影が草木を覆っていた。
手で掴んで菓子を取る。
だって皿も何もないのだから仕方ない。
そうして一つ目を食べ終え、二つ目を手にしようとして躊躇する。
喉に菓子が支えているし、それ以上食べたくないと言うのも本当。

なぜ清四郎の行き先が言えないの?

悠理は思う。
あたしには言っても仕方がない場所なのかも知れない。
そう思うと余計に胸が支えた。
すぐに野梨子が戻ってきた。
お盆には冷水用のポットと小さくて可愛らしいガラスの湯飲み、布のコースターが涼しげだった。
深い色の緑茶は水だしで淹れられ、舌を通ると甘味があった。

「美味しいでしょう」
「うん、おいしい。お茶って甘いんだ」
「そうですわ。良いお茶は、深みがあって甘いんです」
「お菓子もおいしいけど、お茶がおいしくってびっくり」
「喉が渇いてたんですわ。今日も暑かったですもの」
「でも湿気がなくて過ごしやすかった。部屋にずっといたけど、エアコン使わなかったもん」
「確かに」

それからこの部屋の窓が開いていなかったことに、同時に二人は気付いた。

「陽射しが入り難くって、この部屋。夏でも過ごしやすいの」

まるで子供の言い訳のように聞こえる。
窓を開けていなかったことに。

「ちょっと開けますわね。その方が気分が良いですわ」

慌てたように窓辺に近付いて開ける。
音を立てずにそっとガラス戸を引くと、同時に冷たい風が入ってきた。

「やはり空気を入れ換えると気持ちがよろしいですこと」
「うん。ねぇ、独りで食べてもつまんないから、野梨子も一緒に食べよ」
「あら、そう?」
「それに・・・」
「それに?」
「最近ちょっと食欲がなくって。暑くなったからかな」
「無理なさらずに。食べきれなかったらお土産にどうぞ」

そう言って悠理の前に座る。
上品にお茶を飲むと、ホッとしたような顔で悠理を見た。
二人はしばらく互いを見ていた。
最初に目を逸らしたのは悠理で、野梨子の目に探られないためだった。

「もしかしたら清四郎がここに来るかも知れませんわ」
「出先から?」
「ええ。ちょっとしたら」
「ふうん」
「だから待っていらして、悠理」
「ヤダよ。帰る」
「何故?」
「二人の邪魔だもん」
「あら、そんなこと。三人とも幼馴染みでしょう?」
「でも、二人は恋人同士だから」

そう、野梨子と清四郎は幼馴染みで恋人同士。
恋仲になったのは去年の秋頃だっただろうか。

「悠理がいれば、清四郎が喜びますわ」
「からかって喜んでるのさ」
「悠理が可愛いからですわ」
「は?子供扱い」

野梨子は悠理とのやりとりに厭きたのか、ポットから新しいお茶を注いだ。

「おかわりは?」
「うん」

二人とも音を立てずに上手にお茶を飲む。
悠理は沈黙を避けるためだけに余計なことを口にした。
それに気付いた時は遅かった。

「最近の清四郎はどう?元気ないみたい」
「そう?気付いて?」
「やっぱり。なんで?」
「分からないんです。悠理はどう思って?」
「さぁ。でも少しずつ、あたし達メンバーから遠ざかっているようにも思える。前はあんなんじゃなかった。いろんなことに顔を突っ込んで、あたしに命令して。今はすっかり一緒にいない感じ」
「ええ。放課後も、私よりも早く帰りたがりますの。もちろん生徒会の仕事はしっかりこなしてよ。そうじゃない時ですわね」
「野梨子との時間を大切にしてるんだと思ってるけど」
「どうですかしら?すっかり嫌われているような気がします」
「まさか、まさか」

今度の野梨子の目線は悲し気で、目には涙が溜まっていた。
それからしばらく彼女は考えるように目線を窓の外へ移し、翳りを帯びた表情でいる。
外も同様で、すっかり日は暮れ、どこかの庭木で蜩が淋しそうに鳴いていた。

「誰も信用していないんですわ。清四郎は」
「どうして?」
「分かりませんわ。でもそう感じますもの」
「でも野梨子は別だよ。大切に思っているだろうし、信用してるさ」
「いいえ。彼は私も他の人と同じように思っています。ただ・・・」
「ただ?」
「私に対して責任があると思っているのでしょう。私の清四郎への想いを受け止めた以上、そう思っている」

それから野梨子は、顔を覆って泣き始めた。
とても静かな泣き方だった。
目の前に泣いている姿を見なければ、まるで気付かないような泣き方だった。
夏のアスファルトを黒く染める小糠雨よりも静かだった。
悠理は彼女が泣き止むのをじっと待っていた。
その涙は一時のものだと知っていたからだ。

「ごめんなさい」
「ううん」

慰める訳ではない。
それほど野梨子は弱くはない。

「私が知っているのは・・・」

それは野梨子の告白だった。
悠理だけに向ける真実だった。

「清四郎には別に好きな人がいて、その人だけを一途に想っている、と言うことですわ」
「まさ・・・か・・・」
「信用を失う前からなのか、失ったからなのかは分かりませんが」

野梨子の頬にはもう涙の後はなかった。
その気配すら感じられなかった。

「そんな証拠あるもんか。野梨子が勝手に思ってるだけだ。清四郎が元気ないから、そう思っちゃうんだって。きっと、ちょっとだけ独りになりたいだけだよ。そういうの、誰にでもあるよ」
「保証できて?」
「保証?」
「ええ。保証ですわ。清四郎は今、ちょっとだけ独りの時間が必要なだけで、また以前のような彼に戻るって保証」
「それは・・・」

悠理を見つめる野梨子の目は真剣だった。
野梨子が許さなければ、けっして避けられないような目線だった。

「それは・・・」

自分が発した言葉に、これほど責任が必要なのだろうかと思う。
やがて悠理の頭に怒りが込み上げた。
選ばれたのは野梨子で、自分ではない。
清四郎が受け入れたのは野梨子なのだから、あたしには何も責任なんかないじゃないか、と思う。

「前の清四郎に戻るかなんて分かんないよ。でもそうしたいんなら野梨子だって動けばいいじゃないか。信用がなくなったんなら取り戻せばいい」

驚いたように悠理を見つめる。

「野梨子への信用が失われたんなら取り戻せばいい。簡単じゃないのかも知れないけれど、二人は恋人なんだろ?時間かけて向き合って話し合えばいいじゃないか」
「何度かそのことについて話し合いましたわ。私にどこか問題があるなら直しますって。けれど、そうじゃないんだって。問題は僕にあるから野梨子は関係ないと」

野梨子の目線は再び悲し気になる。
けれど涙は溢れない。

「・・・・・清四郎が来ましたわ」

不意の野梨子の言葉に思わずドアを振り返る。
同時にドアがノックされ、野梨子が返事をすると開いた。

「こんばんは、お二人さん」
「お帰りなさいませ、清四郎」
「ただいま」
「やっほ」

この部屋の空気を流れを感じ取るかのように二人の少女を交互に見る。
困ったように悠理に微笑みかけた時、彼女は彼の顔を久しぶりに見たような気がした。

“ああ、この顔だ。ずっと思い出せなかった”

そう、学校や他の場所でメンバーと会っても、彼の顔はいつも思い出せずにいたように思える。

「ポットのお茶を入れ換えて来ますから待っていらして」
「いいえ、野梨子。僕はもうお暇しますよ。ちょっと顔を見に来ただけですから」

その言葉に、悠理が反応する。

「ほら、野梨子。良かったじゃん」
「何がです?悠理」

悠理は楽しそうに野梨子を見る。
彼女も嬉しそうに見返す。
頬に赤みがさし、健康的な顔色になる。

「野梨子ったら、清四郎が最近元気がないのは、自分を嫌いになったからだって勝手に思って心配してたよ」
「野梨子を嫌いに?どうしてまた、そんなこと?」
「あら、いや、だって・・・清四郎は・・・」

悠理は見つめ合う二人に遠慮して、席を立つ。

「ま、そういうことで。あたしは帰る」
「待って」

手ぶらの悠理を呼び止める。

「お菓子をお持ちになって。その為に呼んだのですわ」
「お茶会の?」
「ええ。ちょっと残ってしまいまして。清四郎もお持ちになる?」
「いいえ、僕はけっこう。それより、悠理」

野梨子が菓子の箱を綺麗な和紙の手提げ袋に入れている間に、清四郎は悠理に声をかける。

「豊作さんって今日はいる?」
「どうかな。日曜だからいるかも」
「彼に用事があるんです。借りていた本も返したいし。悠理と一緒に行っても良いです?」
「兄ちゃんに電話してみる」
「その必要はありません。もう暗いから悠理を送りたいし、借りていた本を返すだけでも良いから」
「はい、悠理。お菓子をお土産に。清四郎に送って貰ったら?私も安心ですわ」
「・・・うん・・・」

ふっと、悠理の心に沸き立つ“何か”を感じる。
締め付けられるように苦しく、でももう二度と戻らない追憶。

「じゃあ、行きましょうか、悠理」

悠理の手から紙袋を取り、清四郎が彼女の腕をそっと取る。
ドアを開け、彼女を通して後に野梨子を通す。
こうした距離が悠理に少し余裕を与え、急いで玄関に向かって綺麗に並べられた自分の靴を履いた。

「ねぇ、迎えの車を呼ぼうよ」
「運動がてら歩いて行きましょう。大した距離でもないのだし。僕がいるから大丈夫」
「そうだけど」
「悠理が運動不足とは思えませんけれど。まぁ、そうなさったら?」
「行きましょう」

清四郎に背中を押されて外へ出る。
野梨子が門の先で手を振っている。
その姿が、悠理の胸をまた締め付ける。

“信用されないのは、あたしなんだ”

そう大声で野梨子に向かって叫びたくなる。
けれど・・・けれどそんなことをしたら、野梨子も清四郎も、何もかもが狂って失われると悠理は知っていた。




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