常に移行する時間、そして変わらないもの

“時間を味方につける”という言葉が、最近頭を過る。
何かの小説だったのか、テレビとかネットの情報だったのか、それは定かではないが、生活の何かしらの時に先程の言葉が過る。
例えば今、僕の目の前で幼友達であり喧嘩友達でもある彼女が朝食を取っている。
厚切りのトーストに丁寧にバターをナイフで塗っている。
ハチミツのディスペンサーを見つめ、トーストに垂らそうとしているのだろう。

「悠理、コーヒーにミルクは?」
「欲しい」

僕はミルクピッチャーを手にすると、たっぷりのミルクをコーヒーに淹れる。

「ありがと」

それからポカンとした顔で僕を見つめる。
口を半開きにし、表情のない瞳で。

・・・・・

昨夜の夕食時間もそうだった。
時々、虚ろな目で僕を見つめた。
多分、まだ消化しきれていないんだろうと思う。

僕は今から留学をするために海外へ飛ぶ。
経済についてもっと詳しく海外で学びたいという僕の気持ちを彼女の兄は理解してくれ、学校を紹介し、そこでビジネス学を受講できるよう手続きしてくれたのだ。
昨夜は彼女の家族が僕の送別会を開いてくれた。
数日前には仲間も開いてくれた。
留学と言ってもそんなに長い期間ではないし、長期休暇の時には帰国するつもりだし、何より、暇を見つけては仲間がやって来るに違いないのだから、“別離”という気持ちは微塵もない。
けれども目の前の彼女は、僕の留学という現実について受け入れられていないようだ。
いや、受け入れようとしないのであろう。
それは昨夜の夕食時にも表れていた。

剣菱所有のホテルのレストランでの夕食で、僕はメインの肉料理を断り、魚料理に変更した時に彼女が言った。

「あたしも清四郎と同じのがいい」
「どうしたの?大好きなステーキでしょう?」
「うん・・・口は食べたいんだけど、喉を通りそうにないんだ」
「僕はあしたの出発に胃の負担を避けたいから、ステーキが食べたいのを我慢してるだけですよ」
「そうなんだ。けど、あたしはいらない」

そうして彼女は、重たそうに魚用のナイフで白身にホワイトソースをかけ、小さな口に運んだ。
僕はその彼女の形良い唇に、ちょっとだけ見とれた。
デザートには木苺のシャーベットとエスプレッソを頼む。
彼女は抹茶のムースとアップルティ、それだけだった。
結局彼女のご両親と会話を楽しんだだけの送別会で、用意された部屋に戻るまで彼女はあまり話さなかった。

「僕の部屋で少し話さないか?」

僕が声をかけると、彼女は“うん、いいよ”と言う。
そうして僕の部屋に一緒に入ると、彼女は二人がけのソファの端に座る。
ルームサービスでコーヒーとフルーツケーキを二人分オーダーすると、僕はベッドに腰かけた。

「明日、僕は豊作さんが待っているイギリスに出発します。彼にはいろいろ手配してもらって、卒業までとその後の事までお願いしてるので、とりあえずは一年制のスクールで学びます」
「うん。知ってるよ」
「だから留学期間は短いし、長期の休暇には帰国するし、悠理だって遊びに来るつもりでしょ」
「もちろん。そりゃあ、友達だもん」
「普段より、ちょっと遠いだけの距離」
「そうだ」
「だったら悠理、そんな淋しそうな顔しないで下さいよ」
「・・・・・」

ドアがノックされ、ルームサービスが届く。
ワゴンで室内に運んでもらい、テーブルにコーヒーセットを並べてもらった。

「寝る前だけど、コーヒーをどうぞ」
「ありがと」
「フルーツケーキは?」
「食べれるかな?目はおいしそうと思うけど、喉を通らない感じ。さっきのご飯だって、好きなものだけでもと思ったけど。なんだかもう、たくさん」
「どうしてだろう?どうして大好きな食事が取れないんだと思う?」
「胸がちょっと苦しくって、お腹が空かないから」
「うん。じゃあ、どうして胸が苦しくて、お腹が空かないんだと思う?」
「・・・・・」
「僕がいなくなっちゃうからかしら?」
「・・・・・」
「きっと、そうなんだと思います。僕が留学することが受け入れられない」
「頭では分かってるんだけど、胸の辺りがザワザワしちゃうんだ」
「やっぱりご飯と一緒で、消化しきれていないんだね。僕の留学」
「そうかな」

それから彼女は少しの時間、泣いた。
声を殺して両手で小さな顔を隠し、今までにないような泣き方で。
僕は自分の分の冷めかけたコーヒーを飲み干し、そのカップに彼女のコーヒーを淹れ、コーヒーポットの温かなコーヒーを彼女のカップに注いだ。
ミルクポットからたっぷりのミルクを淹れる。
顔を覆う彼女の両手を力が入らないようにして外し、その手に温かなコーヒーカップを掴ませた。
彼女の両手に、僕の両手が重なった。

「必ず、悠理やみんなの元に戻ります。必ず。僕を信じて欲しい」

彼女の澄んだ瞳から、大粒の涙が零れた。

翌朝。
冒頭の朝食時間に戻るのだが、彼女は昨夜の僕の説明では納得できていないようだった。
朝食の席で顔を合わせると、腫れぼったい目が全てを物語っていたからだ。
ホテルのエントランスでタクシーのトランクにキャリーバッグを入れている時、傍で見ていた悠理が口を開く。

「長期休暇は別として、ほんとに帰って来るのかな?」
「どうしてそういうこと言うの?」
「だって、豊作兄貴が・・・」
「豊作さんがどうしたの?」
「清四郎の留学後の状況に応じて、海外事業部のメンバーに加えるって」
「そう?僕は聞いてないけどな」
「だって・・・」
「まだ、先のことでしょう?それに豊作さんは状況に応じてって言ってる。そうするとは言っていない」
「けど」
「状況は常に変わるものだし、片一方だけの問題ではないと思うんです」
「うん」
「あちら側の状況だけでなく、こちら側、僕側だって状況が変わる可能性も大いにある訳で、一概には言えない。悠理にとって、どちら側でも不安要素なのでしょうけれど」
「・・・・・」
「悠理の状況も今と変わる可能性もある。時間は常に動いているのだからね」

エントランスに爽やかな風が通り過ぎる。
春の、甘い匂いが漂っている。
あるいはそれは、彼女の香りだったのかも知れない。
僕はタクシーの運転手に、タクシープールで待つように伝える。
そして彼女を、ロビーまで送った。

「時間を自分の味方につけるといい」

僕は、最近頭に過る言葉を口に出してみる。
声に出すことによって、それは形成されたもののように思えてくる。

「そしてそれは、常に変わるものとして捉える。僕は、留学したままじゃないし、海外事業部のメンバーになるのは一つの提案に過ぎない。時間は常に移行し、状況は変わる。一年後には悠理が留学し、いつか海外事業部のメンバーになるかも知れない。もちろん先のことなんて、誰にも分からない」
「そうだね」

先程までの淋しそうな顔の彼女に、ほんの少し明るさが戻る。

「そんなに僕の留学が心配なら、悠理も一緒に来ればいい。豊作さんに言えば何とでもなるでしょ?通える学校なんていくらでもある」
「ええっ~!!」
「今すぐでなくても、将来的には僕のアシスタントを務めてくれたって良いですよ。むしろ、そうしてくれるとありがたい」

彼女の笑顔は、真夏の太陽のように輝いている。

「ね?時間を味方につけると、自分の良いように変えることだってできる」
「うん!」

僕は彼女の愛らしい頬を両手で包み込む。

「一緒に、世界中を歩きましょう」

彼女の瞳を見つめると、恥じらうように瞼を閉じる。
僕は彼女の艶やかな唇に自分のそれを重ねる。

全てはきっとうまく行く。

今度はその言葉が、頭を過った。





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