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ヒグラシが鳴く頃に

玄関先に立つと背中側からふうっと冷気が漂い、広い日本庭園の奥の林で蜩が勢いよく鳴き始める。
毎年この時季には耳にするはずなのに、どこか懐かしくて心が締め付けられそうになるのはなぜだろう・・・
なんて考えていると引き戸が重い音を立てて開いた。

「あら、やっぱり」
「久しぶり」
「チャイムで分かりましたわ。声をかけなくても、清四郎なのかしらって。やっぱり」
「チャイムの鳴らし方に癖でもありますか?」
「癖ではなくって、勘かしら」
「第六感」
「そうでもなくってよ。まあそんなこと、中にお入りになって」

お香の匂いがする。
慣れた匂い。野梨子の家の匂い。

「お茶を入れて参りますわ。部屋に入って待っていて下さいな」
「すぐにお暇しますから」
「そう言わずに。久しぶりなんですからゆっくりしていって」

僕は言われるままに部屋に入る。
彼女の部屋でもなく、居間でもなく、客間や座敷でもない。
僕達の部屋。幼い頃から行き慣れた部屋。
たった4畳半の書斎。
本当は彼女の父親の書斎で、初めから備え付けられた壁一面の本棚にはたくさんの書籍が並んでいる。
僕と野梨子はここで思う存分本を読み耽った。
休みの日は朝から夕方まで、それは中等部まで続いた。
中等部まで。
それ以降は、ここでこうして二人の時間を過ごすことはない。
ガラス戸に障子が半分だけ開けられていたが、部屋はひっそりとして空気が冷たい。
僕は障子を完全に開け、窓ガラスに手をかけた時に野梨子が部屋に入ってきた。

「ガラス戸は開けない方が良くてよ。逆に外の暑さが入りますわ」
「そう。でも空気を入れ替えた方が」
「毎朝ちゃんと入れ替えてますわ」

そう、と僕は言い、壁に向かった机の椅子に座る。
彼女は盆に載せた切り子グラスを机に置く。 
中には氷で冷えた緑茶が入っていた。

「暑かったでしょう。今年は、余計に」
「ええ、地方でも。まあ、普段は建物の中ですから」
「慣れて?」
「研修医ですから。いろいろですよ」

彼女も部屋の隅に押しやられていた丸椅子を、僕の横に置いて座る。

「彼とはうまくやってるの?」
「どうかしら。うまくやってると言えばそうですけど、やはりなかなか会えませんから」

野梨子と魅録のことだ。
また近くで蜩が勢いよく鳴き始める。
冷たい緑茶も良いけれど、キリッと冷えたビールが飲みたかった。

「どうして彼を選んだの?」
「どうして?さあ、どうしてかしら。どうしようもないほど好きになってしまったから、かしら」
「ではどうして魅録は野梨子を選んだのだろう。悠理ではなくて」
「・・・・・」

無言の時間が過ぎて行く。
切り子グラスの中の氷が、カランと音を立てた。

「同情、憐れみ、慰め」

彼女は呟く。

「それらのどれでもなくて、必然的に。魅録と私は惹かれ合いましたの」
「そう。なら良かった」
「何を今更。魅録から悠理を奪ったのは、清四郎が先ではなかったかしら?」

喉がカラカラになる。
狂おしいほどに誰かが必要だった。

「そこに愛があったのか」
「え?」

いえ、と僕は言う。

「ねぇ、せっかくですからお夕飯を召し上がっていかれたら?お昼の残りですけど、お茶ごはんとお煮しめがありますの。後はお魚でも焼きましょう」
「いや、今日のところは帰ります」
「悠理とお約束?」
「いいえ。そんなんじゃあ、ありませんよ」

ただ、冷えたビールが飲みたいだけだ。

「じゃあ、おば様にお土産を。ちょっとお待ちになって。お茶菓子をたくさんいただきましたの」

そう言って、彼女は書斎を出る。
僕はまた窓辺に立ち、今度はガラス戸開けた。
外の熱風が室内に入り、ガラス戸の向こうの簾が大きく揺れた。

不思議だ。
僕は幼い頃から、彼女と一緒になるものと信じていた。
許嫁でも何でもないけれど、そうなって当然と思っていた。
けれど僕が手にしたいと願ったのは、全く正反対の悠理だった。
何にかえることもできない、彼女だった。
野梨子を想う気持ちに嘘はないけれど、愛情と言えばそうだけど、悠理は全く違う愛の形だった。
僕でなければ、悠理は悠理らしく生きていけないと強く感じた。
野梨子は、僕でなくても生きていけると・・・

あの日も、蜩が鳴く暑い夏の日だった。
西日の当たる狭い部屋で、僕は悠理を初めて抱いた。
首の後ろに流れる汗を感じ、心臓の音が激しく聞こえた。
彼女を抱いているとき、野梨子の家の書斎を思い出した。
悠理との行為は、書斎で過ごした夏の日にどこか似ていた。


清四郎と過ごした幼い日を忘れることはありません。
けれどこれから先のことを考えるならば、それは個々別々の未来と感じてますの。
それは私よりも、清四郎の方が強く感じているのではないですかしら。
私達は、誰かに決められた一対でも何にでもないのですから。


僕と悠理の行為が、野梨子との関係を崩したのではない。
そうではなくて、時間が野梨子との違和感を作ったのだ。
僕だけではなく、彼女も同じだった。
それでも僕達はしばらく一緒の時を過ごし、一対であることへの義務を感じていた。

だから僕はあの蜩が鳴く夏の日、悠理を前に覚醒したのだ。


玄関を出ると蜩がまた一斉に鳴きだした。
土産の菓子を手に、野梨子を振り返る。

「今からどうされますの?悠理と過ごすのでなく、お家にいらっしゃるの?」
「さっきからずっとビールが飲みたいと思っていたので、どこかに行きます」
「あら、良いですわね。キリっと冷えた生ビール、美味しそうですわ。お独りで?」
「ええ」
「今日はそうした方が良いですわね。行ってらっしゃい」
「行ってきます」


僕達はもう離れ離れになってしまったけれど、互いの思うところは分かっている。
それは僕と彼女の、全く違った愛の形なのかも知れない。





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